白州の杜からブログ

本とコーヒーと犬との生活

2012年04月

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 この花をご存知だろうか。これも桜、「小桜」と言うそうだ。なかなか増えず、庭の
片隅でほっそりと咲いている。今年も、咲いた。 
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 朝、友人から今年も筍掘らないかと電話を受けた。早速、鍬を持って、午後
出かけた。10年前、北杜市に越してきた彼は、自分の竹林を持っている。
今年は、管理を任せられている竹林に案内された。見張っていないと、他県
ナンバーの車が立ち寄り、勝手に掘っていくこともあるという、信じられない
が・・。
 
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 この竹林は、孟宗竹だが、シロッコのように筍が地上に顔を出す前に、これを
獲るわけにはいかないという。地表の条件がよくないし、同じ孟宗竹でも種類が
違うとも。このように出たところを鍬で掘る。友人の指定する場所にある筍に鍬を
入れた。木の根近くにある筍が多く、私が持っていた鍬では苦労したので、サクッ
と切るときは友人の厚い鉄の鍬を借りた。
 
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  結局4本いただいた。毎年大好きな筍を食べられるのは嬉しい。食べ過ぎると、
口内炎ができるが今年はまだできていない。2本は、例によって、ご近所におすそ
分け。筍ご飯と煮物がいただければ満足です。
 
 「道の駅・白州」近くのコイン精米所に寄り、自由持ち帰りのぬかを持って帰ろう
とした。いつも残っているのに、今回、少しも残っていなかった。筍の灰汁を抜く
ためのぬかがどこのご家庭でも必要とされているのだろう。
 

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 わが家のテラス?に、ツルを這わせている。天井をグリーンカーテンにする計画
だ。ただ、このツルが、アケビかムベかよくわからない。地元の人たちはアケビと
いうが、それなら落葉するはずだ。毎年、残っているのは?
 
 どなたか、葉を見て教えていただけないだろうか。このツルが実のような花を
つけた。アケビの実は、山で食べたことがある。このままアケビの実がなったら、
このツルはアケビに間違いないのだが・・。
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 ところで、テレビである。わが家は新聞が配達されない山麓なので、テレビが
頼り。甲府ケーブルテレビに加入したいが、ケーブルとブースターを引くのに
見積もりしてもらったら100万円と聞いてあきらめた。
 
 地デジアンテナは穴山中継局ができたので、4局(NHK、YBS,テレビ山梨)
がよく映る。BSアンテナも昨年5月まではなんともなかった。5月は新緑の季節
である。アンテナの方向性には、山栗が並んでいるが、木も大きくなり葉を繁ら
せると、衛星からの電波をカットしてしまったのである。5月から11月までは
BS放送とはご無沙汰になってしまった。
 
 熱中していたプロ野球中継は、今ロッテにいる今岡選手が、不振になってから
あまり見なくなったので、未練はない。しかし、神奈川時代よく見ていたテレビ
朝日の「渡辺篤史の建物探訪」・TBSの「時事放談」などは、BS放送でみること
ができたので毎週楽しみだった。さらに、「ミュージックトラベル」や「フォレスタ」
など毎回録画する番組も生まれた。それがみえなくなった。
 
 ツレアイなどは、各局から毎日放送される2時間サスペンスは、欠かすことなく
見るようになった。最初、地上波でみたものばかりと見向きもしなかったのである
が・・。去年の秋、BS放送が復活してからは、毎日、2,3本は録画している。
時には、料理しながら早回しで見ている。セリフも当然早回し。情報番組なら
まだしも、ドラマだぜ!。とにかく、もう、BS放送も含めたテレビ漬け。
 
 わが家の住人が楽しみにしているBS放送が見られなくなる悪夢が近づく。
 
 昨年12月のことである。お隣の南北に細長い土地を持つ大地主のYさんは、
松を中心に全部伐るという。台風で木が倒れ人家が壊れたところが近くであった。
そんなことが起きない様に、樹木を全部取っ払ってしまうとのこと。
 
 断然、メリットの方が大きいと判断できる。BS放送が見られなくことがなくなる。
冬は西日が当たるようになり暖房費が節約できる(夏は暑いが・・)。松林が
なくなると、南アルプスの山々が見える。角度的に甲斐駒の頂上は無理だが・・。
 
 雪が積もっていても2月までには、伐採するとYさんから頼まれた業者さんは
言っていたらしい。ツレアイが報告してくれた。心待ちにしていたが、もう明日は
5月。次の冬まで無理か。早く、頼まれ仕事をしてくれ、と叫びたくなる。
 
 BSアンテナの電波の通り道が新緑で覆われる日が、刻々と近づいてくる。
ウ~ン。いい方法はないか・・。
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わが家のロフトから見た、お隣の山桜の眺めです。
やっと咲いて一安心というところ。
というのは、昨年まで山桜の手前に白樺の樹が一本ありました。
この樹が折角の見事な山桜の眺望を損ねていました。
そこでお隣のIさんに切ったらどうですか、と言った。
別荘族であるIさんは、山桜が満開になったときに来ることがなかった。
私も見事な花を見たいと、邪魔になる白樺を昨年切ってくださった。
先々週の土曜日に奥様を連れてこられた。
もう咲いているだろうと来てみたら、ガックリとのこと。
手前の白樺を切ったせいかな、と冗談交じりで言ったひとことは、
私の胸にグサリと来た。
私のひとことで山桜がへそを曲げたのなら、わたしの責任でもある。
このまま、Iさんが満開の山桜をみることがなければ、
私は嘘をついたことになる。
2日前の金曜日、またIさんは来られた。
まだ咲いていない。
山桜は葉が先にでるが、やっぱり葉しかでていない。
ところが、ところがである。
今朝、日曜日、お隣を見ると、なんとあの山桜が咲いている。
満開に近い。
逆光気味で、うまく撮れていないが、往年のあたりを睥睨する山桜に近い姿。
良かった、とひと安心したのは以上のような訳があったのである。
起きて来たIさんは、この山桜を見てどう言うだろうか。
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望遠レンズで撮影したので、手前の花が見にくい。花はプラムのもの。先に
26年ぶりにプラムが実をつけ、今年も花が咲いた、と書いた。26年前には
2本のプラムを植えた。もう1本は枯れたと書いたが、どっこい、生きていた。
今日見たら、花もちらほらつけていた。新しい枝も1本伸びていた。昨年、
実がなったのは、去年も咲いていてこの花粉が受粉したためだろうか。
蝶が2本の花を飛び回ってくれたら、秋の収穫が楽しみ。
 
 
 
 
 
 
 
 

イメージ 1春は山菜の季節でもある。
 
急に芽がでてきたでてきた、
 
ふくらんできた、
 
少しひらいた、
 
というわけで「たらの芽」が
 
食べごろになった。
 
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昨年は、小さい芽のうちに鹿に
 
食べられたが、今年は順調だ。
 
わが家では、このたらの芽や
 
独活、コシアブラなどを
 
天ぷらにして食べるのが春の行事
 
である。
 
昨夜は、2度目の天ぷらとなった。イメージ 3
ご近所のお宅にもおすそ分けした。
 
わが家の天ぷらには、
 
コーンフリーが欠かせないのだが、
 
まだまだ小さい。
 
コシアブラはもう少し膨らむのを
 
待つとしよう。
 
29日には、親しいTさんの娘さんが白州に来られるので、提供して食卓を飾る
予定になっている。たらの芽さん、いつもありがとう。鹿さん、今年は見逃して
くれてありがとう。ツレアイにも。いつもおいしい料理ありがとう。
 
 
 

 私が尊敬するYさんから、先月メールをいただいた。原発再稼動問題についての
「市民の意見広告」への参加を促すものだった。
 
     今、危険で重大な歴史的転換期を迎えているのではないかと私は考え、黙っていてはいけない。
     無関心を装ってはいけないと「表記意見広告」に賛同することにしました。
     私たち市民の声を表明する「場」に、多くの市民が賛同し広がりを大きくすることが大切であると
     考えています。
     どうか、趣旨をご理解くださり下記ホームページにアクセスくださり、ご検討くださるよう期待しています。
 
 結局、参加せずご返事すら差し上げていない。私への失望を強くされたであろう。
 
 国の原子力発電政策は、戦後の憲法問題、戦力問題における世論調査とよく
似ている。国民の多くは「現状でいい」と答えていたが、政府は既成事実を積み
重ねていった。原発政策もそうで、いつの間にか占める割合は3割を占め、関電
に至っては5割近いという。
 
 福島の原発問題は、日本のエネルギー政策を転換させるチャンスでもあった。
そのために、現実に原発を稼動している仕組み、組織をうまく変える必要がある。
日本経済の失速を招かないように政治の、とてつもない力が要求されている。
今の民主党政権には残念ながら無理であることは、私でもわかる。
 
 目下の急務は、原発再稼動問題である。素人の私には、ほとんど稼動しなく
ても、代替エネルギー(主に火力)で停電を引き起こしていない状況は不思議で
ある。今までの「必要だ、必要だ」という大合唱は何だったのだろう、という気が
しないでもない。いや、今は一時凌ぎで何とかなっているが、夏場のピーク時が
問題と言われれば、私にはわからない。わからないが、発表される数字は信用
しないだろう。
 
 Yさんの姿勢にほぼ近いのに、呼びかけに答えなかった理由のひとつに環境
問題に対する私の姿勢が関係している。以前、車はパジェロに乗っていたが、
窒素酸化物ですっかりディーゼル車は悪者になっていた。こういう車に乗っていて、
環境問題に公的にコミットすることはできない。それくらいの自覚はあった。今は
別の車「わが家のベンツ・軽トラ」に乗るが、車を利用していること自体に変わりは
ないから、この姿勢を続けている。
 
 私は、常々、当事者主義をモットーとしている。原発エネルギーを使っている
のでもちろん当事者の一人であるが、もうひとつしっくりとこない。相手も大き
すぎる。いや、大きくてもいいのだが、食指が動かない。この問題で当事者の
一人として、大メディアに発言する気がしないのだ。フィクションとしての「市民」
としての発言なら、余計、気が重くなる。
 
 というわけで、Yさんの呼びかけに何もしなかった言い訳を書いている。Yさん
改めてメールを差し上げたいと思っているが、いつになるやら。やっぱり、気が
重い。近くの沢の水を利用して小さな水力発電を起していれば、ちっとは発言
できるのだが・・。
 

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