白州の杜からブログ

本とコーヒーと犬との生活

2012年12月

   息子たち一家は、大晦日の今日ではなく、明日、元旦に来るらしい。
元旦には出かけたくないので、予定通り長野県諏訪市に向った。角上で
魚を買うためである。このところ、暮にここで買うのが、わが家の恒例と
なっている。
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  角上は、大晦日は朝の5時オープンである。私たちの出発は8時半。
9時10分ごろについたが、車の列。しょうがないので、近くの大きなスーパー
の駐車場に停めさせてもらった。
 
 角上の中も大混雑。台車を押して店内をまわったのは、大失敗。ツレアイ
の姿をたびたび見失った。いくつかの魚と晩飯用のスシを買っただけで、この
店を後にした。
 
 車を停めたスーパーを見てまわる事にする。この店は「ワタハン」という
聞きなれないスーパーだったが、種類が多く、しかも安かった。コピー用紙、
インクセットのほか、ジャッキーの遊び道具も二つ買った。こんな店が近くに
あると、ほんと便利だろうと思う。
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   「ワタハン」を出て、20号線バイパスに面した王将に寄る。甲府市国母
近くに、先月山梨1号店がオープンしたが、そちらはまだ出かけていない。
 
 長野・諏訪店に入ると、ちょうど開店時間の11時半だった。王将の餃子
は久し振り。少し焼きが薄かったが、やはりおいしい。最初は、眠眠(みん
みん)の餃子から始まり、眠眠から独立した王将の餃子に親しんできた。
 
 最初は一人前(6個)70円だった、それが100円となり、今は231円。
相模原・橋本店で230円になったが、今はプラス1円となったらしい。
 
 最後に片栗粉を薄く鍋に撒いて、ぱりっと焼くのが王将風だったが、今は
やめたらしい。とにかく、4人前、ツレアイが少し食べたので実質3人前
食べた勘定だ。若いときは最高10人前を記録したものだが・・。
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  この後、「ユニクロ」茅野店へ。フリースのパジャマをお揃いで買った。
私の着るものは、下着類は別として、息子のテニス着のお古が中心で
自分で買うことはほとんどない。ホント、久し振りの買い物である。
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   諏訪市や茅野市の本屋さんの場所がわからなかったので、最後に
富士見町にある今井書店に立ち寄った。明日くる予定の孫たち3人の絵本
購入するためである。相手に迷惑がられても喜ばれなくても、私から贈る
もの絵本と決めているのだ。
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  『なにの こどもかな』(やぶうち まさゆき)『はじめてのおつかい』(林明子
絵)『ばばばあちゃんのおもちつき』(さとうきわこ)の3冊を選んだ。
 
 このうち、『はじめてのおつかい』はひょっとして、以前、上の子に贈ったかも
しれないと思い始めた。もし事実だったら、じいさんはボケが始まった、と
いわれかねないが・・。林明子さんの絵が好きなんだ。ダブってもいいじゃ
ないか、開き直っておこう。
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  さて、今年4月に始めた私のブログも、今年最後となる。拙く、勘違いも多い
ブログを訪問してくださったみなさんに、ありがとうございましたとお礼を
言います。
 
 また、来年もアップしますので、お時間があったら訪問してください。
みなさん、良いお年を。

   雨は9時前後から降り出した。今日はわが家の大掃除。力が要る仕事は
当然ながら私の仕事。そのひとつが窓拭き。下の写真は、窓ガラスを通して
東側を見たもの。あまり窓がきれいではないかも知れない。それでも、母屋
を塗装したときについた塗料を取るのに大変だった。
 
 クリーンスプレーを吹きかけ、布でこする。爪を立てて強くこすらなければ、
渇いてしまった塗料はなかなか取れなかった。指も痛いがなぜか肩が痛い。
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  わが家を南側正面から見ると、右、中、左で建築年数が違う。右から
27年、4年、2ヶ月である。このLDKがある右側の屋根裏のくもの巣を
全部きれいに取り払った。
 
 27年前作ったハシゴを利用して、箒で取る。ここまで掃除したのは10年
振りくらいだ。終わって写真に撮ると、すごくきれいになったように見える。
映像のマジックのひとつだろう。
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   だが、掃除していて気がついた。一番上の梁は、1本の木ではなく、
継ぎ足している。それが捻じ曲がっているのである。雪がこれから本格的に
積もるだろうが、重みに耐えられるだろうか、心配でもある。
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  午前中いっぱいかかっても掃除は終わらなかった。まだ、お風呂の掃除も
残っている。とにかく、きれいにして新年を迎えたい。
 
 というのも、もちろん気持ちよく住みたいというのもあるが、実は明日から
息子達一家がやってくる。わが息子は、きれい好きなのである。来るなり、
わが家の掃除跡が気に食わない。汚れている、掃除しろ、と宣告するのは
たびたびだ。
 
 あるときなど、来る早々掃除を始めた。文句を言う暇があったら、率先して
掃除してくれたほうがこちらも助かる。たまには「完全に」掃除して、息子を
あっと言わせたい、とも思うがそれは不可能。
 
 ジャッキーは増築した寝室に入って寝ている。夜だけだが、それでも抜け
毛が凄い。寝室に出入りすれば、必ず、抜け毛が付いてくる。完全にきれい
にするというのは、至難の業なのだ。
 
 これを書いているとき、ツレアイから声がかかった。寝室の窓ガラス、まだ
塗料がとれていないわよ、と。そうか、増築した部屋は2ヶ月も経っていない
から大丈夫と安心していたが、外壁塗装のとき、塗料が飛んでいたんだった。
いまからやらなくちゃ・・。

  予想は「山地 15cm」とあった。それぐらい覚悟していた。朝起きてみると
右の写真のように、1週間前の積雪(左写真)とあまり変わらなかった。10
cm弱か。ただ、先週と違うのは夜の間に雪が止んだことだった。4時に目が
覚めたが、丸い月が照っていた。
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  朝日も上がって、気持ちよくジャッキーとの散歩に出た。温度が低いと
デジタルカメラが作動しない。レンズはでるが、「レンズエラー」と表示され
固まってしまう。固まる前に何枚も撮った。雪のある風景が今回は撮れた。
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  昨日午後3時ごろ、ラジオは清里が吹雪であることを伝えていた。私は
尾白の湯に向っていたが、白州はまだ降ってはいなかった。洗い場から露天
風呂に出ると、外は細かい雪が猛烈に降り、あたり一面は既に白くなって
いた。
 
 赤茶けたぬるめの源泉に浸かりながら、細かい雪を手のひらで受け
止める。雪はすぐ溶ける。私は子どもに帰っていたのだろうか。心が弾んで
いたのは間違いない。
 
 雪は深夜になっても、降り止まなかった。これは予報のように15cmでは
終わらないかもしれない、と半ば覚悟した。ところが、深夜に雪は降り
止んでいたのだった。
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                          <甲斐駒ケ岳>
 
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                          <八ケ岳連峰>
  散歩にでたジャッキーはもちろん喜んでいた。途中でハナちゃんとタロウ
にあった。畑ではなく、田圃で少しタロウと遊ばせてもらった。ジャッキーは
相変わらずタロウの腹の下にもぐりこみ、相手をひっくり返すのがうまい。
 
 リードをつけたままのハナちゃんは、大人しく2匹の動きを目で追っている。
この子の目がとても賢そうで、実際賢い。飼い主の言いつけもよく守る。2,3
日前、ジャッキーはこの子に怒られ、近づかなかったが、タロウと戻ってきた
ときは、また一緒に遊ぶようになった。良かった。
 
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   遊びを切り上げ2匹と離れると、ジャッキーはまだまだ遊ぼうよ、と
座り込む。その写真を撮ろうとしたら、立ち上がった。いつまでも見ている。
 
 ジャッキー、毎日、多くの犬と一緒に遊べたらいいのはわかっているよ。
私もそうしたい。でも朝夕2回の散歩だけでは無理なんだ。もう一匹飼って
やるといいんだが・・。
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   92才になるイギリスのミステリー作家・PDジェイムスの新刊がでた。
『高慢と偏見、そして殺人』(ハヤカワ・ミステリーポケット 2012)である。
1812年に出版された『高慢と偏見』(オースティン作)(未読)の続編を
書いた、と言うわけである。
  
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 舞台は1802年。日本で言えば江戸時代、伊能忠敬が日本測量を命じ
られたと、わが愛用する『日本史年表』(山川出版社 1992年改訂版)に
書かれている。
 
 高慢で尊大ぶったダーシーとその妻エリザベスが結婚後どうなったかが
主題だ。ダーシーは、広大な領地を持つペンバリー館の主人。10月の舞踏
会前夜に殺人が起きる。当時の警察組織や捜査活動が描かれる。ダーシー
自体が、地域の3人の治安判事の一人である。
 
 当時、「イギリスの平和と安全は、自分の屋敷で暮らす紳士にかかって
いるんだ。彼らはりっぱな領主であり主人であり、使用人に思いやりがあり、
貧者に施しをし、いざとなれば治安判事として地域社会に平和と秩序をもた
らすために全力を尽くす。フランスの貴族がそんなふうに暮らしていたら、
革命は起きなかっただろう」と登場人物の一人は語っている。
 
 広大ベンバリー地方の領主・ダーシーの高慢と尊大ぶった態度は、この
ような時代背景があった。
 
  「わたしは子ども時代から、多くを所有することには大きな責任がついて
くるもので、いつかベンバリー館と、そこに生活と幸福を依存している多くの
人々の世話が、私の肩にかかってくると教えこまれてきた。この神聖な責任を
前にしたら、個人的な欲求や幸福は常に二の次にしなくてはならない」と感じ
ていたせいらしい。
 
 エリザベスとの結婚生活と殺人事件の対応を通して、ダーシーは
変わった。二人は仲良く暮し、ダーシーは優れた領主として君臨するだろう
と読者に納得させる。
 
 「ミステリー作品」としては物足りないが、それなりに読ませてくれた「時代
小説」だった。
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  『贖罪』(湊かなえ著 東京創元社 2009年)がリクエストしてから2ヶ月
後に借りられた。著者お得意のパターンだった。例によって、学校関係者
が登場する。臨時PTA大会の教師の「演説」も、『告白』の二番煎じだった。
 
 思えば、『告白』の担任女教師の告白と犯人である生徒への告発(第1章)
は、圧巻だったなあ、と思う。あれを超えることは著者にとって大変だとも
思う。同じような設定だが、書き続けられることは凄い才能の持ち主である
ことは間違いないだろうが・・。
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  新刊コーナーで借りた本に『氾濫するマーク~多様化する認証』(田中
正旧窮編集 日本規格協会 2012年)があった。一般書ではなかった。
マークには①適合②供給者のロゴマーク③ピクトグラム④ラベルと4種類
あるらしい。
 
 私は③のピクトグラム(注意・警告を示す図記号、絵文字、安全な取り扱い
に関する記号など)の話かと思った。例えば「動物注意」の交通標識は全国
どこの地方に多い、とか。全然違った。①の適合マークの話だった。
 
 数ページで眠りに着いた。
 

   落葉の季節、11月中ごろにBS放送が見えるようになった。それ以来
好きな番組を録画して後で楽しんでいる。「渡辺篤志の建物探訪」「SONG」
「BS日本・こころの歌」「ミュージックトラベル」「ラグビーウィークリー」「日本
の城紀行」「城下町へ行こう」などである。
 
 混声合唱団フォレスタが美しいハーモニーを奏でる「BS日本・こころの
歌」は、今週「異郷譜 2」で、スティーブン・フォスター特集だった。 
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  「おお スザンナ」(津川主一訳詞)「オールドブラックジョー」(緒園涼子
訳詞)などが歌われた。私には思い出深い曲である。私も学校で歌った記憶
があるが、フォスターの曲は敗戦直後、解放された自由のシンボルとして
各地で歌われたのだ。
 
 神奈川のチベット、あるいは北海道とかつて言われた僻地の農村にも、
戦後は始まった。藤野(現 相模原市)に疎開していたオペラ歌手佐藤美子
は、戦争中、近くの軍需工場で『勝利の日まで』を歌唱指導をしていた。
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  「カルメンお美」として知られていた彼女は、敗戦直後、村の青年団から
歌の指導を頼まれた。彼女が教えたのが、フォスターの名曲だった。当時、
合唱団員だった方が「私しゃアラバマからルイジアナへ~」と私の眼の前で
ずさんでくださった。
 
 ダムが稼動し始めた相模湖畔の古い農家で逼塞しながら、横浜・鶴見
の自宅に戻ろうとしなかった。青年合唱団員への指導を通じて、地域の文化
育成にまい進していた。
 
  既に中央に復帰していた友人から、舞台へもどるように手紙が来た。彼女
は「聞いて。道を歩く子どもたちが『おおスザンナ』を歌ってるの。こんな素晴
らしいことはないわ。私はもどらない」と返信していた。
 
 当時、青年や子どもたちが口ずさんでいた『おおスザンナ』は、今回「BS
日本・こころの歌」で聞いたものと同じ歌詞だろうか。ネットで検索すると、
訳詞者の津川主一は、1896年生まれで、フォスターの名曲を訳した、と
あるから間違いないだろう。
 
  「オールドブラックジョー」の訳詞者・緒園涼子は、おそのりょうしと読む
らしい。兵庫県出身の作詞家(1905-1947)とあるから、戦後直後に歌わ
れた歌詞も今回のTV放送と同じだろう。
 
  佐藤敬画伯の妻でもあった佐藤美子は、まもなく中央のオペラ界に復帰
する。しかし、都会から田舎に疎開した人たちの中で、真剣に地域の文化を
育てようとした人たちがいたことを、私は忘れられない。

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