白州の杜からブログ

本とコーヒーと犬との生活

2015年05月

   ホントに月日が経つのが早い。もう1年が過ぎてしまった。滋賀県の従兄のFさんは昨夜わが家に見えた時、ご自宅の赤いバラを持ってきてくださった。これで祭壇は一段と華やかさに包まれた。きっと喜んでいてくれると思う。
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 昨日の午後は、Jマートに寄った。横浜のTさんからお花を供えてください、との依頼があった。これを実行するためである。種類はお店の方にお任せした。とてもゴージャスな盛り付けとなった。待っている間に、葉だけをつけた枝が数本置かれていた。今日仕入れたという「ナツハゼ」(248円)だ。イメージ 3
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  Gさんがいつも話されている言葉がよみがえった。花だけでなく、緑でも良いのよ・・。即、購入。背が高いので背景に置くことはできなかったが、こちらの期待に充分応えてくれているように思う。次の機会には青々としたカエデの枝を供えようか。
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  法要もなしの会食だけの一周忌。思い思いの花を届けてくださるみなさん。今日は午後から大阪の姉や姪が来てくれる。明日は友人たちが集まって恒例のバーベキューをする予定。雨が心配だが、にぎやかに過ごして故人を偲びたい。

  この一週間は、韮崎市立図書館で借りた香納諒一氏の作品ばかりを読んでいた。そのほかに『おさがしの本は』(門井慶喜著 光文社 2009)を借りていた。N市図書館のレファレンス担当者が物語の主人公。
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  彼は、議会の委員会で図書館費廃止論を説く館長(市長の懐刀)に対して、存続論を発表する羽目になった。彼は議員を説得しなければならなかった。生涯学習の場だとか、市民の教養を高める市民の書斎と言った建て前論では、厳しい市の財政からの廃止論を阻止できない。切羽詰まった彼は、次のように主張した。以下長くなるが参考になると思うので書きます。

   何故、図書館は存続されねばならないのか。図書館というのは究極的にないしは本質的に救急医療センターや市営住宅とまったく変わらない施設だから。

 近代の日本は法治国家、法律に従って動いている。その法律は紙かディスプレイに映し出される。いわば法治国家とはテキスト国家と言いかえることができる。法律も含めてお店のチラシまで大事なことは印刷物によって知らされる。そのテキストの文字を読むのは人間必須の能力。

  その文字を読む能力をもっとも大規模に、かつもっとも組織的にやしない、鍛え、保ち深めるための装置は書物以外にない。ひとりの少女がたくさんのおとぎ話の本を読んで育んだことにより、やがて一枚のパンフレットから善意の運動と悪徳商法とを見極めるのに役立つに違いない。

  では文字を読む能力がわれわれに必須としても、その支援を財政難にあえぐ自治体がひきうけなければいけないのか疑問が湧くかもしれない。だからこそ、図書館は救急センターや市営住宅と同じ昨日を果たす
施設であると言わざるを得ない。

  なぜなら市民の9割は救急センターや市営住宅を使わない。行政は
たった1割しか手を差し伸べていない。こうした訳ありの少数を対象とするところに公金を投じる意義も理由もある。図書館も、処置を必要とする人のために存在する。書店に無い本が読みたい、たくさんの事典や辞書で見比べたい、自分の主題に見合う本がどれなのかも見当もつかない・・・。図書館は文字を読む必須の能力が脅かされる時こそ、真面目を
発揮する。図書館は他の施設と同じで必要なのだ。

  こうした主張が廃止を阻止し、主人公は図書館から政策企画課へ栄転するストーリーとなる。みんさんはどうお考えでしょうか。ところで、理想と現実の違いをあげて、つぎのような利用者を指摘している。

  「ただただ買うためのお金がもったいないというだけの理由で人気作家の新作をごっそり借り出す老人もいる」と。ん、私のことか。基本的にはそうだが、少し言わせていただこう。わが家に本を増やすスペースがないことも買わない理由の一つ。さらに人気作家の新作は、手に入らない、リクエストすれば何年も待たなければならない状況がある・・。

  そもそもわが北杜市の8つの小さな図書館での図書費は、いまやかつての大泉図書館のそれにはるかに及ばない。読みたい新刊が手に入るのはホントにまれだ。だから、韮崎や竜王まで出かけざるを得ない面がある。これが理想と現実の一面。新刊が多数手に入るN市はまだ恵まれている方なのだ。

 

   昨日夕方ブログをアップした後、ジャッキーが吠えだした。窓の外を見ると、電線がユッサユッサ揺れている。サルだ。あわてて北側の窓を覗いた。サルが電線で遊び、別の2匹がイチゴ畑に入ろうとしていた。こらっと一喝し表へ飛び出した。道路の石を拾って狙って投げた。
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  やはりイチゴ畑にやってきた。この一週間、赤いのを我慢して採らないでおいた。熟すのを待っていた。日曜日には、長野富士見町のテニス仲間がジャムを作ってくれることになっていた。それまで採らないでおいたのだ。

  私は早朝の散歩と朝ご飯(食パンを焼き忘れていたのだインスタントラーメン)を済ますと中庭のイチゴ畑に出向いた。サルの鳴き声が遠くでしている。まだ荒らされてはいなかった。今日午前中留守にするので、サルが来るだろう。全滅する前に、大きいもの、熟しているもの、へたが枯れてきているものを中心に採った。
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 味をみるとかなり甘みが広がる。今年は大きい粒が多いように感じる。わがイチゴ畑はいろんな種類が混じっている。甘く大きい粒の市販の苗も入っている。ビックリするような大きく育った葉っぱもあった。

 採ったイチゴは冷蔵庫へ入れておけば日曜日まで持つだろうか。私はジャムの作り方をしらない。イチゴはジャッキーも大好きだ。リンゴが今日には無くなるので、採れたてイチゴを人と動物の食後のデザートにしようか。ところでサルにお願いだ。留守の間に盗るのは仕方がない。根こそぎ採るのだけは勘弁してくれよ。

  イチゴはともかく、食パンが問題だ。自分用に今朝出かける前にセットし、そのままオンにしよう。お昼に帰ってきたら焼き上がっているだろう。そして夜にもう一度セットする。私の焼いたパンを待っている人もいるのだ。昨日250g入りの強力小麦粉「ブラウアーファイン」をいただいている。今夜忘れずにセットしなければ・・。

   中央林間から見えたUさんが、お庭のあじさいを今日届けてくださった。青紫の大きい花だ。わが家の山アジサイはこれからだし、コアジサイが咲きだしたくらいで、旬の花は嬉しい。一周忌を前にしてこのところお花をいただき始めた。
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 昨日はTさんが、今年は早めに咲きだしたと、白い大きな芍薬の花を届けてくださった。1年前、棺に白い花を入れる予定だったが、あいにくと生花店には、菊やバラしかなかった。そのときもTさんはお庭の芍薬を急遽入れてくださった。今年もありがたいことである。その芍薬、夜は花が凋むので驚く。朝にまた花が開き始めるのである。
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  わが家の庭で今から間に合う花はあまりない。白バラが咲いているが、豪華に飾るほどではない。祭壇ではなく、食卓の一輪差しに活けた。月曜日に花店を営むテニス仲間の方にいっぱいの花を届けてもらうよう電話した。
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 ところが、このお店は花苗が中心で生け花を扱っていなかった。ご主人の実家が東京府中で生花を扱っているというので、そこから届けてもらうことにした。ところが、昨日のTさんの話によると、地元のM店も花苗だが,生花も扱っていて評判が良いという。話を伺うのが一日遅かった。

  色や種類に注文を付けなかったので、金曜日にどんな生花が届くか楽しみだ。





   今朝も甲斐駒荘前の通りを歩いていた。甲斐駒荘を抜けると、別荘が続く。右側に建物がない80坪くらいの一角があった。みると、敷地の真ん中に、枝を切り落とされた2本の松が見えた。ごらんのようにオブジェのような、トーテムポールにも見える「アート作品」に仕上がっていた
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 これから家を建てるつもりならバッサリ伐るだろう。こうして枝を中心に伐ったということは、周りから苦情が出たのかもしれない。日蔭になると言うわけだ。それでこんな形になったのか。どうせ伐るならアート作品風に仕上げようと遊び心を発揮されたのだろうか。

  実はわが家の南隣の敷地にも、大きな松の木2本が立っている。日蔭になって困っている持ち主は10年ほど前に伐採されようとした。道路を挟んだ東側のお隣に、「伐採するから、立ち会ってください」と申し入れされている。特に冬、わが家にも影響があり、この伐採の話を聞いて小躍りしたが、結局伐られず糠喜びに終わった。
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  林業の専門家に聞いたが、この松は機械を持ってこないと無理だそうだ。まわりに家や電線があるからだ。そうすると高くつく。ただ、私たちが移住したとき、松くい虫対策の一環で、西側の松を2本、市に伐ってもらった。このとき、機械が入るものと思いこんていたら、人間の手で簡単に伐採された。

  甲斐駒荘近くのにあった2本のアートっぽい松は、機械を入れたのか、人間が登って伐ったのかどっちだろう。きっと、人が登って楽しみながら枝を切り落としたのではなかろうか。

  わが家にも伐りたい木がいくつかある。最近、木を切っても良いという若者が登場した。東京に住むテニス仲間だ。この前は日帰りであるお宅のところの木を切って行った。その足でわが家の木も伐る予定だったが、さすかに無理で帰京した。次の機会とお預けになった。

 彼は以前わが家にやって来た時、丸太に近い薪を見て言った。「この薪を割らしてください」と。この時斧が見つからなかったので、割ることはできなかったが、自分から薪割りしたいと言った人は初めてだった。いまどき、珍しい若者ではないか。早く、白州に来てくれないだろうか。待ち遠しい。 

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