昨日からの雨は、雪にならず降りつづけていた。散歩に出ると雪道の轍の跡の雪が溶け地肌が見えていた。白い道に長い2本の黒い線が描かれたようだった。参道にでると、みぞれまじりのものに変わった。8時過ぎには重く水を含んでそうな雪に変わったが、10時にはまた雨に戻った。
今朝は4時前に目を覚ましたが、眠ることをしないで昨夜読みだした本を枕元に広げた。面白くて7時前まで読んでいた。ジャッキーが散歩に行こうというので、あと50Pほどだったが、読み切るのを我慢して起きた次第。朝食後、こたつで残りを読んだ。『典獄と934人のメロス』(坂本敏夫著 講談社 2015)である。
大正12年9月1日に起きた関東大震災を舞台とする小説だが、元刑務官の著者は当時の横浜刑務所典獄・椎名通蔵(36歳)の事績を掘り起こしている。彼は山形出身、最初の帝大出の監獄官吏である。刑の目的は応報ではなく、教育による犯罪者の更生にあるという講義に感銘を受け、判検事ではなく、監獄官吏を選んだ変わりモノだった。
関東大震災というと、東京が大参事に見舞われたイメージが強い。かつて横浜に住んでいた私は、よく遊んだ横浜平和公園が当時の瓦礫を埋めてできたという話を知っていた。この本を読むと、東京よりも横浜の方がもっと被害がひどかったことを初めて知った。
横浜刑務所も外壁だけでなく、受刑房も作業工場も潰れ火事になった。椎名典獄は、午後6時半から監獄法第22条により24時間の解放を1000人以上の受刑者に与えた。25歳の囚人・福田達也も実家のある相模原に40km歩いて向かった。
実家に戻ると家族は無事だったが、妹サキの親友の家がつぶれて、家族が下敷きになっていた。彼はこれを救助すると、2日の午後6時半に戻れない。そこで18才のサキが替わりに灰燼に帰した横浜刑務所に遅れる理由をかいた手紙を届けることになった。サキは約束の時間までに行きつけるのか・・。
こうして直接戻ったり、家族の救援で遅れたり、他の刑務所に出頭したりして、このうち公式記録としては934人が戻ってきたが、未帰還者240名が出たことになっている。
だが、著者は後日の帰還者を含めてほぼ全員が戻ったという。緊急避難に基づく法令を実行したにせよ、これは椎名典獄にとって危険な賭けでもあった。だが、メロスよろしく典獄の信頼に応えて受刑者が帰還した感動の物語は生まれた。公式には隠された事実を著者は掘り起こす。
だが、なぜ事実は隠されたのか。
関東大震災と聞いて思い起こすのは、朝鮮人虐殺と10日後に起きた憲兵による大杉栄虐殺事件である。この朝鮮人虐殺事件の発端は、横浜刑務所受刑者の24時間解放が契機となった面があるらしい。いわゆる流言飛語である。朝鮮人が蜂起し、井戸水に毒を入れている。関東で400の自警団が生まれ、自主検問し「がぎぐげご」と発音できないものは朝鮮人とみなされ惨殺された事件も起きた。
新聞以外のメディアが閉ざされる中、略奪、強盗、強姦などの事件は実際に起きている。だが、解放された受刑者が事件を起こしたのではない。戻ってから横浜港での救援物資の荷上げに一役買って感謝される存在となっていた。事件を起こしたのは、むしろ自警団のメンバーだったと、著者は書く。
だが、今でも、椎名典獄の事績は悪く伝えられているらしい。受刑者を24時間解放したために流言飛語が一人歩き市し、犯罪が起きた、と。当局は、朝鮮人虐殺事件や数々の凶悪犯罪を許した責任を椎名典獄の一日解放のせいにして、蓋をしたかったというのだろうか。ここのところが、読んでいて私にはもうひとつすっきりしないところだ。
この横浜版『走れメロス』を読んでいて、「山田風太郎の明治小説」で馴染みとなった典獄・有馬四郎助を思い出す。クリスチャンの彼はこの関東大震災のとき東京・小菅刑務所の典獄だった。彼は外壁が崩壊した中で、受刑者同士で自警団を作った。この自治組織で一人の脱走者も出さなかったと言われている。
椎名通蔵、有馬四郎助、この二人の事績はあきらかになった。偉大な典獄の努力で受刑者の処遇は大きく変わったのだろう。一方で彼らが目指した開放房は、今では逆にゼロになっているらしい。最近では民間運営が始まったが、これはどういう思想で運営されているのだろうか。