ミステリー作家の辻村深月氏が山梨にやってきた。昨日の午後、県立文学館のホールはほぼ満員。2階にも観客がいた。館長で歌人の三枝昂之氏の質問に答える形で辻村氏のトークは続いた。今、文学館では「作家のデビュー展」が夏休み期間開催されているので、これにちなんだ催し。
辻村氏の作家デビュー作は、2004年24才のときの『冷たい校舎の時は止まる』。実はタイトルが下手と話す。当時、応募した時のタイトルは『投身自殺』。雪景色の密室という校舎で一人身を投げた人物は誰かという学園ミステリーだったからだ。
応募先の編集者は、タイトルからつまらない作品と思われて、読むのは後にまわされたという。受賞後、タイトルにNGを出される。しかも「投身」とは川や海に身を投げる入水自殺のことだと言われ、20回も二人で打ち合わせした。もう面倒で出版されなくてよいとも考えたらしい。
で、浮かんだのが『神隠しの校舎』。これもNG。作品名ですべての内容が伝わらないといけないといわれ、最終的には『時間のない教室』と『冷たい校舎の時は止まる』に絞られた。
推理作家・綾辻行人氏のアドバイスで後者に決定した経緯を話してくれた。この話は面白かった。最初、デビュー作を読んでいない周りのオジサンたちはうつらうつらしていたが、このエピソードではみな起きていた。
いわゆる処女作は、これではない。笛吹市内の小学3年生で書いたホラー小説で「さまよえる悪霊(の中で)」という作品。当時のクラスは交換日記が盛んでほかの人は恋愛話を書いたが、ミステリーとホラーにはまっていた彼女は怖い話を書いた。怖くてみなが読んでくれなかった、とも。
高校生のとき、綾辻行人氏にフアンレターを出した。思いがけなく返信が来た。その手紙は小説と同じ文体で感激したという。その後、青春ミステリーを書いていた氏から電話があり、今どきの女子学生の姿を話したことは以前の本の番組で知った。氏の弟子にあたる(ペンネームも一時もらった。ただしシンニュウの点々は二つに)のだが、今でも「助手」と自ら話していた。
高校は山梨大学付属校。ミステリー狂が高じて千葉大を目指した。ここにミステリーサークルがあったのだ。受験の年にデビュー作を書いた。卒業後は山梨に戻り、OL生活を6年続けた。3年目に『投身自殺』で、ある賞に応募した。
デビュー作は学園ミステリーとして書いたが、青春小説として評価された。一度世に出た作品は多様な読まれ方があることを知った。その多様性、懐の深さが小説の魅力だという。デビュー作は子どもの視点から書いたが、結婚・子育てを経験した昨年は、大人の視点も加味した青洲小説を書いた。それが『かがみの弧城』。
会場ホールには、小説家志望の人たちも大勢来ていたらしい。アドバイスを挙げていたが、一度、作品を完結してくださいとのこと。完結しなければ、小説を書いたことにならないとのある小説家の言葉を引用していた。
もちろん、タイトルで内容がすべて出るようにつけることも大事。一度、関係ないタイトルをつけて、「辻村深月」の著者名で購入してもらえるか試したくてつけたタイトルもあるそうだ。それが2009年の『ゼロ、八チ、ゼロ、ナナ』。
デビュー作から『かがみの孤城』まで13年間で長編20本、短編42本を書いた。仕事の依頼が来て締め切りがあったからたくさん作品が生み出せた。私はこれからも小説家であり続けたい。いろんなジャンルに関心を持つ普通の人間です、と締めくくった。
最後の「普通」という言葉に私は反応した。息子が持ってきてくれた朝日新聞7月15日号を読んでいたら、彼女のエッセイがあった。「育児エッセー 最初は抵抗感」というタイトル。結婚や出産の話は、作家の想像力よりも現実の体験の方に重きを置いてみられているようで嫌だったと書いていた(辻村のシンニュウの点々は一つになっていた)。
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会った人に「普通」のお母さんとよく言われたが、この「普通」に実はコンプレックスがあった、とも。会場では最後に10分間質問タイムがあった。誰も質問しないのなら、当時感じていた「普通」の中身を問いたかったが、7人前後の活発な質問が出たので、私は手を挙げなかった。
今は普通の人間として吹っ切れた彼女は、これからもミステリーを書いてほしい。たまたま昨日日曜夕方のUTYニュースを見ていたら、「辻村氏山梨で講演」がトップだった。満員の会場をカメラはパンした。最後に、私の後ろ姿が映っていた。舞台に向かって左側、一番後ろから2番目の席に座っていたのだ。まったく気付かなかった。
テレビ用ライトを点けていないのに、白髪頭が寂しくなって見えた。まだまだ髪の毛は多いと思っていたのに、透けて地肌が見えるほど薄くなってきたのか。