白州の杜からブログ

本とコーヒーと犬との生活

2018年02月

    昨年6月8日の菅官房長官の記者会見の様子は、当時、まだ新聞が配達されていなかったので、「報ステ」で知った。東京新聞の望月という記者が加計問題でしつこく質問し、官房長官がこの後首相のところに駆け込んだというニュース。私は望月記者に拍手を送った。
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  その3か月後に『新聞記者』(望月衣塑子 角川新書)が発行され、昨日読むことができた。当時社会部の遊軍記者だった彼女の取材史が書かれていた。5月17日、朝日新聞が「加計学園の新学部『総理のご意向』文科省に記録文書」とスクープ。定例会見で長官は「怪文書」と切って捨てた。内部調査も半日で終わった。

  実はNHKが同じ文書を手に入れ、」16日夜に放送していたが、「総理のご意向」の部分は黒塗りで消されていた。また、この問題で直後に記者会見を開く文科省前事務次官のインタビュー取材まで行っておきながら、映像をニュースとして流さなかった(このことは会見で前川氏が話していた)。つまりNHKは及び腰だった。     

  5月22日、読売新聞に「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中 平日夜」の記事が踊った。まるで犯罪者扱い。証言する前川氏の信用を貶める効果を狙ったような記事。千葉で事件記者をしていたとき、事件取材に強い読売新聞と尊敬していた彼女はこの記事が信じられなかった。

  同時に「出会い系バーに出入りし、貧困女性の実際を探った」という氏の証言に納得できず、単独インタビューする。彼は、子どもたちに勉強を教えるボランティアに励み、働く女性の手助けもする真面目な人物であり、
教育基本法改正に反対した異端の存在であることを知った。

  読売の記事は、文科省担当だった読売女性記者からショートメールが発端だった。文科省後輩からは「和泉首相補佐官が『会いたい』と言えば応じるつもりはあるか」とのメールも。前川氏が記者会見しなければ、歌舞伎町での出会い系バーの記事は書かないという圧力であった。

  権力と癒着したジャーナリスト。記事を掲載した読売新聞。「怪文書」と切り捨て、前川氏を問題があって次官を辞めた人物と貶める菅官房長官。官房長官にまともな質問もせず、10分以内に終える政治部記者たち。事件記者取材で培った望月記者は、定例会見に潜り込む。6月6日が最初だった。長官が珍しく感情をあらわにした8日は2回目だった・・。

  ブロック紙の一つ東京新聞は、彼女を含め3人のチームをバックアップしている。朝日や読売などは内閣記者会の担当が決まっているが、東京新聞は記者数が少なく社会部遊軍記者として会見で質問することができた。冷ややかな政治部記者の中で、日刊英字紙ジャパンタイムズの吉田玲磁氏、朝日新聞の南彰記者も質問を繰り出すようになった。

  元官邸記者で3歳下の若い南記者を心配する望月社会部記者。「新聞記者として個人個人が何を大切にするか、だと思うので。だから関係ないですよ」と話す南記者。社会部のマインドを持っていると感心する。彼女もサツ回りの時「新聞の規模ではない。人間としてのぶつかり合い」なのだと勉強していたのだ。ガンバレ南記者。

  演劇俳優を目指していた子ども時代(アニー役をもらったこともあるという)、転機になったのが母が勧めてくれた『南ア・アパルトヘイト共和国』(吉田ルイ子 大月書店 1989)だった。中学2年の時に読んだこの本で、吉田ルイ子さんにあこがれジャーナリストを目指すようになった。

  慶応卒業時、筆記試験で落ちなかったのは東京新聞と北海道新聞。入社内定は東京新聞が早かった。そこで鍛えられた彼女は、日本テレビ、TBSや朝日・読売からの声がかかるほど、有能で真摯な記者魂を培った記者として昨年の6月8日、2回目の官房長官定例会見に臨んだことになる。

  彼女に言わせると。官邸はメディアの中で、NHK、フジテレビ、TBS、産経新聞、読売新聞が好きなそうだ。TBSは意外だった。テレビマンユニオンの伝統を受け継ぎ、「報道特集」は数少ない番組だと思っていた。もちろん共同通信記者のT氏のように官邸の代弁者を出演させるのも情報が欲しいし、中立の生き証拠としての存在価値があるのだろうと思っていた。

  流れ出るメディアの情報の中で、信頼するジャーナリスト、頑張っているメディアを自分の眼で確かめなければいけない時代。望月記者にはいろんなトラップもこれから流されるかもしれない。私たちは彼女を信じて変わらずエールを送りたい。2018年度予算が通過する今日も、彼女は定例会見で頑張っているだろうか。

  

      5月の「すみれの華」単独朗読まで、既に3か月を切っている。1月終わりにどのサークルがいつ担当するか決まった。この間、100回記念にかかり切りで、自作品を決める余裕はなかった。やっと、新しく購入したアンソロジーの中から探し始めた。
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  15分前後だから文庫本8ページくらいの作品がちょうど良い。先ず「尺」に合う作品を選び、読んでいく。対象の5冊のうち、3冊はアマゾンで購入し、あとはブックオフで買った文庫。『短編工場』などは2冊もあった。勘違いして同じものを購入した作品だ。

  『スタートライン 始まりをめぐる19の物語』は、7ページだが、1ページ当たりの文字数が少ないので、尺は10分か。光原百合や万城目学などの作品もあって楽しみにしていたが、ほとんど現代もので朗読したいと思わせるものはなかった。

  ただ、「会心幕張」(宮本あや子作)はメッチャ面白い。女装した男性に恋をして、アナルセックスに快感を覚えるようになった男の物語。「ピーナス」「フェレイシオ」(何を意味するか分かる人は凄い)「お大事さん(アソコ)がキュン」「ケツマンコ」「ファッキンメリークリスマス」などの言葉がさく裂する。朗読会で読んだら、卒倒する人がでてくるかもしれない。

  『厭な物語』『もっと厭な物語』では、いわゆる奇妙な味の物語を期待していたのだが、長い作品が多い。短いが日本人作家の「乳母車」(氷川l)が私の関心を引いた。とても怖い作品だが、私にはまだ無理かもしれない。うちの看板女優さんに薦めてみたい。

  あとは『短編小説日和~英国異色傑作選』(西崎 憲 編訳 筑摩書房
2013)が頼りだが、まだ全部読んでいない。ここにもないとすると、どうしようか、困ったな。ここで浮かんだのが、伊藤桂一氏の「戦場小説」。本来朗読会で私は女性朗読者が読まない「戦争作品」をもっと読むべきではないだろうか、とも。

  二つの作品が頭にあった。「高価な弾薬」(『続 悲しき戦記』所収 講談社文庫)と「輸送列車の女たち」(『ひまわりの勲章』所収 光人社NF文庫)である。前者は軍馬の最後の物語で、アジアの収容所で実際に起きた事件を題材にしたもの。後者は30分以上かかる。今回は無理だ。

  前者も21分と長い。朗読会は1時間をなるべく超えないようにということなので、ほかの三人が15分読んだとしても、私の朗読で6分長いことになる。これくらいなら、文句を言われる筋合いはないだろう。この作品は、戦争、犬や馬という私の「守備範囲」にかなうものでもある。

  まだ時間が少しあるのでアマゾンで目をつけているアンソロジーを注文し、これを含めて最終決定したい。

    今朝9時には、お隣武川町にあるテニスコートにいた。このコートを使うのは20年振りだと思う。なぜここにいるのか。それは先週金曜日の夕方、固定電話にかかってきた1本の電話のせいだった。掛けてきた男性は、「自分はHというが、富士見のM川さんからの紹介で電話した。よかったらテニスをご一緒させていただきたい」とのこと。

  M川さんと聞いてイメージが浮かばなかった。M川さんと聞いて浮かんだのは、相模湖が見える丘に住んでいたとき、私の「藤田嗣治は戦争画を焼かなかったか」と言う連載原稿をある雑誌に推薦していただいた方。テニスとは縁もゆかりもないジャーナリスト。

  それでもせっかく、私とテニスがしたいということなので、申し出を受けることにした。月曜、武川のコートをとっているらしい。このコートは、私が使った20年以上前はハードコートだった。それがオムニコートに変わったが、12年前は誰も使わずコートは黒くカビだらけだった。

  当時、1時間の使用料金が1000円だったと思う。私の家の近くの横手コートが100円なのに、誰も使うはずはなかった。合併で市内オムニコート
は一律360円となった。最近ではいろんなグループが使うようになった。それもそのはずだ。オムニは新しくなり使いやすくなったが、料金が250円とここだけ特別扱いになっていることがわかった。
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  さて、初めてお会いしたHさんは6年前に武川にご夫婦で東京から越されてきた方であった。私の電話番号を教えたM川さんは、東京時代からのテニス仲間で、暖かい時期だけ富士見の別荘に来ていたという。そして火曜日白州コートでサークル「ドンマイ」に参加していたらしい。

  私もこの「ドンマイ」に6,7年前まで一時参加していた。話を聞いていて、集まったメンバーの中で一番上手な方で、この方とお手合わせしたいために通っていたことを思い出した。今でも5月から10月までは富士見に来ているらしい。

  Hさんは引っ越してから2年間は別荘のリフォームなどでできなかったが、4年前からコートを借りて一人でテニス練習していた、という。コートには使用ノートがあり、年契約でHさんが2面のうち1面を月・水の午前中を借りていた。

  ライジングが得意で、特にバックハンドが鋭い。ショート、ロング、対角線、ボレー、サーブと2時間ほど打ち合った。相手のボールを受ける感覚がまだ戻らないと話されていたが、彼が東京時代、横浜スポーツマンクラブで開催されたローズカップ大会(今はない)にも単複で出場されていたという強者だったことがわかった。。

  私もこのクラブ近くの団地に住んでいて、30才の手習いとしてテニス教室に通った。覚え始めたころ、この大会に出場した。シングルス1回戦は中年男性。若い女性たち数人が声を上げて応援している。聞けば、相手は湘南のテニスコーチだった。練習ボールの打ち合いで、レベルの違いを感じた。習いたてのスクール生が出場する大会ではなかった。

  そんな大会に連続出場した経験を持つHさんは、またこの山梨の地でシングルスの試合に出場を目指されているのかもしれない。サーブのときの位置はセンターだった。センター、バックときれいに打ち分けられていた。終了したら、水曜はどうかと聞かれた。

  3月からは夕方5時からスポ少練習が再開する。次の水曜はまだ2月。差し支えることはないので、お付き合いすることにした。11時10分頃別れたが、私が使用料金を払うのを忘れていた。携帯に掛けたが、つながらなかった。水曜に私の分をお支払いしよう。とにかく意外な展開だった。

    「労働時間に関係なく仕事をしたい方は、裁量労働制を選択し、早く終わったら子育てなり余暇を楽しむなり、充実した働きをしてほしい。働き方の多様性を担保したい」と言う意味の言葉を国会で首相が話されていた。このセリフは耳に心地良い。バラ色の働き方に聞こえる。

  だが、これは日本の企業社会の実情を全く考慮しない言葉である。営利を目指す企業にとって、裁量労働制は何時間残業させても、決められた残業代で済むので、これ幸いと連続残業を強制的にさせるだろう。これを拒否する労働者や新入社員はなかなかいないと思う。企業と労働者は対等ではない。労働組合も、どこまで労働の立場に立てるのか。

  特に中小企業で働く社員で労働組合を結成している人は極端な少数派だろう。横断的なユニオンに個人加盟している人も少ない。個人の希望や自発性はあってないような、弱い立場だし、「個」が確立した社会でもない。

  中には途中入社した出版編集部員は知らぬ間に裁量労働制契約にされていた。貯まった残業代を請求したら、分かった事例もある。企業側が圧倒的に強いのが、昔から変わらぬ現状だろう。日本社会では、西欧流の個人は発展せず、立場が同等でない状態は今も続いている。

  「裁量労働制で働く三分の二は満足している、というデータもある」との答弁もあった。根拠は、独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が2013年に実施した調査。「満足」「やや満足」と答えた人は専門業務型で7割弱、企画業務型で8割だったそうだ。同時に、不満な点は「労働時間が長いという回答が、専門業務型で51.9%、企画業務型で45、1%に上った。

  満足されている方は、裁量労働制にふさわしい年棒が支払われているのかもしれない。あるいは「実際の残業時間は何時間ですか。残業の多さに満足されていますか」と言う質問なら、満足、やや満足と言う人は極端に減るのではないだろうか。

  首相の発言は、労働者の「多様な働き方のニーズに対応した改革」と常に美しく聞こえる。過剰残業で亡くなられた遺族の方が話されていたが、首相の言葉は絵空事で裁量労働制の職種を増やせば、過労死がさらに多く出るだろう。首相が進める政策や法案趣旨をみると、実情を無視したきれいごとの発言で、労働者の長時間労働を規制する法案と抱き合わせる手口も巧妙だ。

  特攻を前に「1.喜んで出撃 2.命令されれば出撃 3拒否」の紙を渡され〇をつけろと言われて、正直に3に〇をつけると、真っ先に出撃させられるか、1か2に〇をつける様説得される。結局、答えは決まっているのだが、あくまで自発的に特攻に志願した形を取った軍部権力と根っこは同じではないだろうか。どの権力もきれいごとの建前を前面に出す手法は同じということも言える。

       「すみれの華」の作品は「人体の言い分」(東海林さだお)。「心臓」「胃」「歯」「眉」の悩みやぼやきを語り掛ける。私は「胃」で2番目に登場するが、作品としては最後の「眉」がほかほどあまり面白くないと私は思っていた。ところが冒頭の「とにかくヒマですね」から満員の会場で笑いが起きた。ほかの部位が忙しいだのとぼやいているのに、ヒマと言ったからだが。
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  写真は開演10分前の昨日の会場だが、開演直前には400人席がほぼ埋まった。私たちの出番は3番目だったが、1,2番はまじめな作品で静かだった。「人体の言い分」が始まっても雰囲気は固い。私の「胃」では少し笑いが起き、「歯」の「チュウ(キスの表現)」でしのび笑いが広がった。

  この朗読作品は笑って楽しんでいいんだという了解が満席の会場に広がったのだと思う。それで「眉」の「とにかくヒマですね」からクスクスが聞こえた。2番目の私の「胃」で一気に笑わせることはできなかったが、「歯」とともに「笑い」のでお膳立てしたことにもなる。結果的に「すみれの華」4人のアンサンブルがうまくいったことになった。

  とにかく1グループ15分の持ち時間を守ってください、との厳しいお達し。リハのすみれは時間オーバーと指摘され、最初のマイクセットを急ぐようにした。前の組が終わって溶暗(礼のあと拍手、そのあと暗くなる)から、自分たちの溶暗までだから厳しい。次のスタンドマイク設置に時間がかかるのだ。

  マイク係の図書館の人が舞台の両袖から2本決められた位置に立てる。出演者は丸椅子をもって所定の位置に行くだけだが、マイクの位置、高さ、向きが微妙に違う。私のマイクも高さが少し低い。マイクの頭を上げるだけで調節終わりにした。

  本番は、朗読者だけが聴衆に向き、ほかの3人は後ろを向くことになった。私だけは前を向くつもりだったが、部長さんに言われてやむなく。それでマイク調整のあと、すぐに後ろ向きに座った。上手を盗み見ると一人がまだマイクを調節している。そこに影アナの作品紹介の声が流れ出した。

  「朗読はすみれの華です」が終わると舞台は明るくなった。まだ上手の一人はマイクをいじっていた。今回の公演はビデオが回っている。あとからみると、舞台が明るくなったのに前向きの一人がチラッと写っていると思う。手順では、影アナのQだしは上手が出すことになっていた。上手の朗読者は自分の準備ができていないのに、Qを出したのだろうか。

  こうして最初の「心臓」が始まった。始まりまで時間がかなり取られたと思う。また反省会でねちねち言われるなと思って、少し憂鬱になっていた。2番目の私の番が来た。「胃 たしかに・・」と大きく声を張り上げ始めた。目が台本から離れ、少し間が開いたところが2か所あったが、無事終えた。

 テニス部の友達が来てくれたので、後で感想を聞くと「ボイストレーナーに習ったの?」というセリフのみ。日頃の声でなくびっくりしたのだろうか。夜かかってきた出演者の話では、ベテランのKさんは私の声に驚いていたという。こもった声が突き破ったものになり、遠くに届いていたらしい。わかってもらえてうれしい。

 それはさておき、私はピンマイクでボイスレコーダーに収録していたが、自宅で再生し、前の組の溶暗から「心臓」の始まりまでは買ってみるとおよそ40秒かかっていた。15分オーバーしたなと思った。だが、「心臓」3分、「胃」3分17秒、「歯」4分7秒、「眉」3分51秒で、自分たちの溶暗までは5秒オーバーで済んだことがわかった。5秒では誰も文句は言わないだろう。

  ところで、この日はゴミ出しの日。9時集合だったが、プロの出演者が8時半に楽屋に来るので、荷物運びとして私も入れて男二人は同じ時間に行くことになった。朝、出かけるとき一応ゴミ袋を持ち支所に寄った。8時ではゴミ倉庫のカギが開いていない。そのまま車にゴミを積み直した。

  公演は4時半終了だったが、プロの公演が5分以上延びた。このあと、撤収後片付けである。朝の搬入した楽器や小道具を今度は楽屋入口に運ぶ手伝いを最後までした。これが終わったのは5時20分。支所のゴミ倉庫が6時に閉じるのであれば、まだ間に合う。飛ばして支所に着いたが、予想通り閉まっていた。

  今、今週の「燃えないゴミ」袋は、東側デッキに置いてある。次、出すのは来週金曜日。こうして、100回記念の朗読大会の一日は終わった。終わったが、103回公演、5月第三金曜日は、私たちの出番。来月までに4人は作品を選ばなければならない。全体で1時間なので、一人で15分が目途だ。まだ作品を決めていない。「胃」ほどではないが、結構忙しい。

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