白州の杜からブログ

本とコーヒーと犬との生活

2019年10月

DSCN3425
 
 一昨日の昼下がり、かけ続けていたフリーダイヤルの宛先は、NTT東日本。というのは23日頃、フレッツ光の契約書が届いたからだ。確かに9月30日の夜、代理店からの電話で現在にauから乗り換えることを約束した。工事日も23日と伝えられていた。現在auには9千円近い支払いをしている。それはNTTの回線を借りているからで、NTTならば5900円でOKと言われ、同意した。これは既にブログで紹介した。

  NTTに乗り換えるには、昨年3月に契約したauは2年か3年の縛りがあり違約金の支払いがある。これもNTTは負担するということだが、違約金がどれくらいになるかわからない。電話でNTTと契約してから一週間以内にラザウォークにあるauショップに行き、直接聞いてみた。

  ここでわかったのは、私の契約はauひかりはガラ系携帯(機種替え)を含み「ずっとギガ得プラン」で2年縛り、3年分割ということ。電話(携帯と固定電話)だけだと1200円の基本料金に保険料、通話料がついて約1500円の料金しかかかっていなかった。最低の料金プランだという。

  「ずっとギガ得プラン」の違約金はこちらでわからない、KDDIお客様センターにお問い合わせくださいと電話番号を渡してくれた。KDDIに電話はしなかった。「ひかり」だけだと7000円近くなるが、それならばNTTの5900円と大きな差はなくなる。それよりも、NTT(代理店)が示した料金プランを確認したい点が数多くあった。

  そこで代理店に電話した、このプラン料金の内訳は回線使用料?4400円、光電話基本料500円、プロバイダー料500円、工事費500円となっている。ひかりケーブルは既に配線済み。モデムを交換するだけなら私にもできるので詳しく聞くと、やはり専門家がチェックする必要があり15000円かかるが30か月分割料金だという。4400円の中身がよく聞いてもわからない。

  違約金をどういう形で負担してくれるかの問題もある。ガラ系携帯本体6万円の半額はまだ分割で支払っている。これがまだ上乗せされるし、ギガ得で携帯が現在5分間無料となっているが、解約するとどうなるかわからない。auのモデムもこちらから包装して送り返さなければいけない面倒もある。あれやこれやで、3年経ったらNTT光に替えると伝えた。工事料金を無料にすると言ったが、取り消しを決めた。

  そうそう、電話で契約して、すぐ契約書を送ってくれと代理店に伝えたが、むにゃむにや・・、23日の工事1週間前に届きますとのこと。いやすぐに送ってほしいと伝えたが曖昧な返事だったことも背景にあった。契約書には私のサインが必要で、条件を確認してから署名しようと思ったのだ。その契約書が工事日予定の23日に届いたのだ。
DSCN3426

  開封せずそのまま無視しようと思ったが、封筒裏に、「工事実施前までの申し込みの取り消しについて、無料にてお手続きいたします」とある。もし工事代理店が23日工事をしたことにすれば、月末の支払いが生じることになる。断っても工事日より後になるから有償での取り消しになる。そこで、念のためNTT東日本のフリーダイヤルに電話したのだ。

  1時間ほど電話を切らずに待っていると、やっとつながった。確認してもらうと私は「取り消し」になっていた。契約書はタイムラグがあるので配送されてしまったという。私はこの契約書を処分してもよいか尋ねた。一瞬間があったが、よいですとのこと。9月30日の夜にかかってきたauひかりからNTT光フレッツへの切り替え問題は私の中ではここで終了となった。やれやれである。
DSCN3427

  私は念のため処分すると言った契約書の封筒を開けてみた。料金表は「ひかり電話A(エース)」が1500円とあるだけ。いろいろ書いてあるがわかりにくい。「にねん割」とは2年縛りと同じことか。私が同意して署名する欄も、送り返す返信用封筒もなかった。一方的な契約書でびっくりする。電話による勧誘と申し込みで、勘違いほかでしっかり理解しないまま正式な契約とされてしまう現状を知った。

  本当はNTT光に乗り換えた方が安くなったかもしれない。私の疑い深く、ものぐさな態度でお得になるチャンスを失った可能性も。ただ、そういう問題ではないのだと思う。今、多くがのお年寄りがかんぽ保険のノルマを課せられた勧誘員に無理な契約を強いられた事例が表面化しているが、これに通じる問題でもあるように思う。

  息子よ、電話でauからNTTに替えたよと告げたが、結局、元の木阿弥になった。意見を聞かせてくれ。

     あるフリーダイヤルにかけ続けていた。「ただいま込み合っています」の声が流れる。そのまま待つか、再度電話しろという。私は切らないで待ち続けていた。昨日の昼下がりのことである。雨でサークルテニスは中止になっていた。待っている間、ネットでいろいろ検索していた。

  気になるのが、岡谷市の出早(いずはや)公園の紅葉である。昨年は11月の初めだったし、今年は紅葉が遅れていると思っていた。NHK長野では紅葉情報を流しているが、今は安曇野地方など高原が見ごろとあった。一応、出早公園で検索すると、なんと10月24日から「紅葉まつり」が始まり、来週中頃には終了となる。標高は低いと思うが、髙ポッチ高原の山麓で既に紅葉が見ごろになっているのかもしれない。
DSCN3418

  今朝の散歩では、初めて手袋がほしいと思ったくらい、風はひんやりしていた。ただドピーカンである。朝練が終わった10時40分ごろ、諏訪湖の先の出早高原に出かけることにした。ちょうど、富士見町立図書館に借りた資料を返す用事もあった。国道20号線から茅野で県道16号線へと左折、諏訪湖南を通って岡谷に抜ければ1時間半もかからない。渋滞する箇所もなく12時に付いた。
DSCN3422

  愕然とする。今朝のニュースにあった「憮然」の表情でもよい。多くのカエデがまだ青いか黄色。赤くなっているのもあるが、ところどころ。昨年見ることができた、夕陽を浴びてこの世とも思えない幻想的な風景はどこにもなかった。もみじ祭の真っ盛りというのに訪れる人は数人。お茶をサービスするテントには誰もいない。
DSCN3420

  居合わせた岡谷市の観光案内人の方に聞くと、今年は遅いという。やはり昨年は11月4日か5日だったから、来るのはこれよりさらに遅くてもよかったのだろう。また来週後半には訪ねるつもり。諏訪湖畔道路の紅葉も遠くから見ただけだが、まだまだの感じ。
DSCN3424
帰りに茅野市の日帰り温泉「金鵄の湯」に寄った。茅野市には7つの日帰り温泉があるが、ここは20号線沿いにあるのに、まだ入湯していなかった。広い駐車場に乗り入れる。車が一台もない。不吉な予感。玄関に行くと「水曜定休日」のプレート。近くの尾白温泉も水曜定休なので寄ったのに。今日は「空振り」の日だったか。冒頭のフリーダイヤルの顛末は明日に。
  

   小説家・故水上勉が、日中戦争当時、京都府職業課職員として満蒙開拓青少年義勇軍の募集を担当していた。18才か19才のころで、各地の小学校に児童を集めて『大地の稲つくり』『満蒙開拓村のあけぼの』などバラ色の移民を描いたフイルムの野外映写会を開いた。同時に父兄から志願の子を勧誘、型通りの検査をすまし、茨城の内原訓練所へ送ったという。
DSCN3414

  この事実は『移民たちの「満州」~満蒙開拓団の虚と実』(二松啓紀 平凡社新書 2015)で知った。著者は京都新聞文化部記者である。この著作は、京都府が送り出した開拓団の軌跡を中心に、満蒙開拓団と青少年義勇軍の歴史をコンパクトにかつ熱く語っていた。私が知らずにいたこともたくさんあった。

  ①満州開拓は後で国策になるが、最初は満州国建国を契機に農本主義者の加藤完治、橋本傳左衛門京大教授のグループが農林次官らを巻き込み満州移民を推進した。5.15事件を契機に農村の疲弊が浮かび上がり、「満州移民」に予算も付くようになった。平頂山事件も起こる不穏な中、昭和7年、第一次武装移民が入植したという経緯を辿った。満州移民に反対していた高橋是清蔵相が2.26事件で倒れると、国策(20年間で500万人移民計画)への道が開けたこと。

  ②主流となった分村移民は宮城県南郷村が第一号。私は長野県大日向村が最初と思っていたが、山形県大和村に続く三番目だった。小説が描かれ映画にもなったので私が勘違いしたのだろう。また分村といっても、元いた村の家屋や少ない田畑を処分して渡満したことを知った。敗戦後、帰国できた人でも村に居場所はなく、新たな開拓地に向かわざるを得なかった。 

  ③満蒙開拓団はソ連侵攻後、集団自決したり、悲惨な逃避行を続けたが、運よくハルビンなどの大都市にたどり着けた人たちは、今度は避難所生活で居留日本人との格差も生まれたこと。着の身着のまま、呑まず食わず避難してきた団員たちの一部は伝染病にもかかっていたし、豊かな生活を送っていた居留民と暮らしは違っていた。

  ④敗戦後、武装解除された日本兵士は、すぐにシベリアに送られ収容所暮らしになったが、、開拓団で渡満し、現地で召集された男たち、あるいは避難所にたどり着いたものの、男たちが別にされシベリア送りになった人もいた事。私は満州で就職し、召集されたY氏のシベリア体験を聞き書きした小冊子を書いたが、シベリア送りは関東軍兵士だけではないことを改めて知った。

  ⑤農業に縁がない人たちを送った東京も含め、全国で開拓団を一番多く出した県は長野県の3万7859人。最も少ない県は滋賀県(1447人)。自治体の姿勢で大きな違いが出た。長野県でも村長の判断で送り出しを回避した例もあるが、国策に乗じて推進した自治体の責任を明らかにしなければ、と著者は書く。帰郷できた団員も、送り出した自治体も「満州移民」に対して沈黙を守ることが多かった。

  ⑥多くの若者を送り出した加藤完治訓練所所長は、敗戦後、自決を心配されたという。責任を取ると周囲から思われたのだ。だが、彼は公職追放だけで済み、83才まで生きた。加藤の盟友であった橋本傳左衛門京大教授は、定年退職した後要職に付き、学者や農林官僚を育てた教育者として旭日重光章を受章している。

  最後に、逃避行で4人のわが子を殺めた女性の手記(『殺戮の草原ー葛根廟巡礼記』)の一部を孫引きさせていただく。

    戦争なんて、勝とうが負けようが、どちらが正か邪か、それは人が勝手に自分の理屈をこねるだけで、
   闘わされた男の人達も大変ですが、社会で弱い立場の女や子供達に一番その犠牲が強いられているよう 
   でなりません。そして何時も、「戦争だったから」という、誰の責任でもないように、ウヤムヤのうちに葬られ
   一番先に忘れられてゆくものです。
    生命というものは言葉や感覚で、「重い」とか「大切だ」とか「尊いものだ」と捉えるものじゃないですよ。
   そんな軽薄なものじゃないですよ。
    生命は自分一代のものじゃなくって、家族全部のもの、そして子孫へのものなんです。自分勝手に決める
   もんじゃないですよ。

 

DSCN3406

  暖かい日々が続いている。昨日は横手コートの駐車場に蛇がいたと騒いでいた。これも暖かさのせいだろう。南庭のヤマアジサイが一輪まだ咲いている。他は枯れたし、コアジサイも終わっているが、この一輪だけは青い花か額を咲かせている。
DSCN3405

  深まる秋の中で、紅葉は遅れている。周辺ではウルシが少し赤くなっただけ。わが家のカエデの紅葉はまだまだ。ただ、ロフトの北窓から見る風景は黄色を基調に秋の深まりを感じさせてくれる。白樺の幹の白さとの対比も悪くない。中央のアオハダは葉が多く落ちているのが残念。
DSCN3407

  秋の花ではリンドウが咲いている。今年植えた4本のツルバラは2度目の花も終え、今は蕾もない。何故かツル自体も伸びていない。来年に期待するしかないのだろうか。息子が撒いた百日草の種は、南庭の花壇で色とりどりの花を咲かせたが、その寿命が長いのに驚く。いつも花瓶に入れて利用させてもらっている。
DSCN3411

  ところで昨日は失せものが二つ見つかった。一つは麻雀三人組の一人が失くした眼鏡。2日目に失くしたことに気付いた。家にも車にもなかった。初日に行った温泉かもと問い合わせたが、やはりなかった。遠くを見る眼鏡だったらしい。それが中庭の草むらから見つかった。
DSCN3413

  レンズは割れていないがひび割れ、ツルは開かない。持ち主の携帯に電話すると、既に注文しているし、つぶれているのなら処分してくれとのこと。もう一つの失せもの発見は、卓上カレンダー。9月に見当たらなくなった。忘れことが多いので、大きなカレンダーを切って冷蔵庫に貼ってしのいでいた。県別パンフレットのケースを整理していたら、中に落ちていた。これからは両方メモして忘れ事をできるだけ減らそう。 
DSCN3404

  昨日6時過ぎに散歩に出た時のこと、配達ポストの前に朝刊1部が落ちていた。わが家ともう一人の定住者が同じ新聞を取っているので、いつもは2部重ねてポストに入っている。配達した方が急いでいて、2部のうち1部が途中で入らなかったのか、誰かのいたずらか、落ちていた理由は全くわからない。少し濡れた朝刊は私がもらった。ここ2年間で初めての出来事だった。
  

   わが家の薪ストーブの煙突掃除は、シーズン初めと決まっている。薪ストーブを最後に使ったと思っても、また薪ストーブの暖かさがほしい日がある。そこで煙突はシーズン初めにしている。で、今日土曜日、始めた。煙突を梁からの金具で固定しているが、金具がねじれていた。外から煙突が中に向かって少し押される感じだ。
DSCN3397

  金具の留め金を緩めて蓋を外し、用具を入れる。煙突の先には、ビニール袋で煤を受け止める。市内の煙突が済めば、外の縦煙突を金づちでトントン叩いてやる。例年と同じくらいの煤の量だ。屋根に登って、上から用具
を下ろす場合もあるが、3,4年に一度だ。叩いて落としてやるだけで、煙の通り道は確保している。
DSCN3399

  今年は暖冬と言われているが、どうだろう。これから寒波がきても、薪を燃やすだけでリビングの暖は取れる。ストーブ自体が小さく、かつ対流式でないので奥の寝室までは無理なのが残念。寝室は灯油ストーブを使う。薪ストーブは暖まるのが遅い。そんな時はサンルームで灯油ストーブを点ける。6畳分のスペースなのですぐ暖まる。今日は暖かくなるというので、薪を本格的に燃やすことはまだ先になると思う。
DSCN3398

  煙突ストーブの煙突掃除が終わって、外に出た。懸案の中庭整備に取り掛かった。外水道があるが、ある時、木枠を作りシンクを置いた。これが結構場所を取る。中庭に入ってくる車が曲がりにくいという声もあった。いっそ、木枠もシンクも取り払うことも考えたが、とりあえず、横に移動してみた。
DSCN3388

  かなりずらすことができたので、当分、撤去しないことにした。シンクもきれいに洗った。シンクといっても汚れた水が合併浄化槽に流れるわけではない。下にそのまま流れ落ちるだけ。あまり使わないのだが、たまにBBQのとき、油のついた皿などを洗う。最近ではイチゴ畑の水やりが多い。それでもきれいにし、落ち葉も取り除いた。
DSCN3391

  出入口の柵も、異動した水道シンクの位置に合わせ少し下げた。これで中庭に入ってきた車は、囲いの石を乗り越えて伸びるイチゴを気にせず、進入できるはずだ。バックでターンして道に出る時も同じだ。ちょっとした工夫で中庭が広くなった感じもする。
DSCN3392

  中庭の整備ではもう一つ、19号台風で倒れた白樺の撤去がある。細い枝は片のこぎりで切り落としたが、幹の太い下側は倒れたまま。息子にチェーンソーで伐採してほしいが、なかなか休みが取れないらしい。19号が来た三連休も連日出勤だったそうだ。来ないなら、チェーンソーを購入するぞ、と言っておこう。

  

このページのトップヘ