白州の杜からブログ

本とコーヒーと犬との生活

2019年12月

     息子たちが白州に到着したのは、昨日の午後7時前だった。娘がインフルエンザでないとわかり予定通り行くと3時過ぎ連絡が入った。ご飯だけ炊いておけという「指令」だった。私は豆乳炊きとご飯の残りがあったので定時の6時ごろ済ませた。到着した孫の中に高校生の長男の姿はなかった。半ば予想していたことだった。

 中学1年の男の子、小学5年のマスクをつけた女の子は4か月振りの再会だったが、みな大きくなっている。特に男の子は声まで大人びてきた。電話での声を聞くと、高校生のお兄ちゃんの声とそっくりだ。バスケットボールを持参していて、いきなりリビングの床でバウンドさせ始めた。

  部活がバスケットで、レギュラーになったらしい。どこへ行ってもボールに親しむことは大切。テニスでもラケットを出張先でも持参して素振りしろ、と若い時コーチに言われたものだ。バスケットボールは大きくてバウンドさせると床が沈む。築30年を超えたリビングの床はところどころたわみ始めている。外に出る様、声をかけた。

  素直にデッキに出て練習していた。自分の練習もあったが、白州のじいちゃんにうまくなった姿をみせたかった面もあると思った。彼が起きて来たら、デッキで一緒にボールをバウンドさせてみよう(おきてきたので誘ったが断わられた。寒いという)。ただ、早朝散歩に出ると、デッキにボールが転がっていた。雨が降ったらしく、少し濡れている。これはどうしたことだろう。
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  高校生の長男は白州に来たかったらしいが、今日31日に用事があったという。今、東京で「コミュケ」が開かれているが、大好きな漫画家かイラストレーターの作品が今日だけ並ぶ。これを買ったら、一人で山梨に絶対向かうと言っていたらしい。近くの駅まで迎えに来てほしい、とも。実行できれば、初の単独行だ。

  恒例のお年玉があるので彼は必ず来ると思ったが、待てよ、東京から山梨までの交通費は当然自費だ。お年玉をもらっても、逆に足が出るではないか。そのことを親に言うと、それも承知で来ると言う。嬉しい決意じゃないか。本当にやってきたら、お年玉に少し交通費分を上乗せしてあげようと思う。
  
  今年もあと一日、充実した1年だった。来年はテニスをほどほどにして、勉強に力を入れたい。2月3月は「城郭考古学」「甲府城の歴史」など市民講座を受講する。どういう1年になるだろうか。
  

  私は着るものや持ち物に拘りはあまり持っていない。もちろんブランドに気を使ったことはない。今、帽子とウエストポーチは「coach」だが、これは息子のプレゼント。これは有名なブランドだよ、と言われても、フーンというリアクションしかできない。自分でブランドものを探して購入することはほとんどないと言ってよい。
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  ただ、気に入ったモノなら同じものを使い続けたり、着続ける場合が多い。例えばセーター。私は若い時から「モスグリーン」系が大好きで、肘当ての着いたこの濃いめのセーターを愛用していた。袖が少し長いので折って来ていた。ある日、見てみると、この部分に穴が開いていた。
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  最近はこの柄物のカーディガンを着ることが多い。似たような柄物が2着ある。別々に息子などから贈ってもらったものだと思う。時々、取り換えるが他人からみると同じものを着続けているように見えるかもしれない。部屋着として着ていても、そのままでテニスコートでもプレーしている。便利なのである。

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 というわけで長年使ってきたグリーンのセーターはクローゼットに収まっていることが多くなった。手作りのクローゼットは着ることがないコートなどで手狭になっている。襟が汚れた半コートなどを処分していたら、ふとグリーンセーターのプレートが目に入った。んっ、そこには「Burberrys」とあった。
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  私も知っているイギリスの有名ブランド「バーバリー」?念のためネットで名前を確認する。[BURBERRY]とある。大文字だし、最後のSもない。偽ブランドの可能性が高い。いや、途中でメーカーがロゴを変えたかもわからない。イングランド製で全部ウールとも書いてある。もし本物なら、ブランドとは知らずに愛用していたことになる。感触もウールと感じられず、合成繊維と思っていた。汚れても洗濯機で洗っていた。ボロボロ破れた袖口はたしかにウールのように見える。
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  もし本物なら、どうしてブランドセーターが手元にあるかの疑問が湧いた。白州に移住して9年になるが、相模湖時代から使っている。いや、横浜時代かもしれない。自分で買ったのだろうか、誰かにプレゼントされたのだろうか。それも思い出せない。若い時は関西に居てバックスキンのコートやスーツをもらったことはあるが、そんな昔ではないだろう。
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  私は横浜に住んでいたころ、古着に凝っていた時期がある。渋谷の道玄坂から少し入った路地に古着やさんがあった。そこによく出入りし皮のコートなどを安く購入した。可能性があるのはこの店ぐらいしか思い浮かばない。30才になる前にフリーになった後だと思うから、もうセーターを着だしてから40年は経っていることになる。
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  相模湖時代に手にしたとしても30年は着ていたことになる。これがブランド製品の力なのか。手作り、あるいは作り付けのクローゼットを見回しても、これ以外にブランド物は見当たらない。貴重なブランドセーターである、とすっかり本物と確信する良いようになっている。そろそろ処分しようかと思っていたが、これからも折を見て使っていきたい。

  外は雨が降り出している。息子からは昨夜電話があった。下の孫がインフルエンザの兆候があり、今晩に予定していた白州行きは思案中という。延期となれば、静かな正月ということになるだろう。もし延期となると、明日大晦日に届く予定のおせち料理はどうしよう。息子が発注しているものなので、転送するか。

  子どもの声も響かない、初めての白州の正月となるだろうか。



  

    今日は日曜日。朝の9時。本来ならテニスコートに行く準備をしているところだ。役所が休みに入っているのでコートは使えない。と言うわけでこの時間でもサンルームにいる。何か得した気分で、朝日を浴びている。2日間ブログを書けなかったので、材料が溜まっている。その一つを書いていこう。
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  「1941年12月8日午前2時15分(日本時間)、日本陸軍の侘美支帯は英領マレー半島、コタバルへの上陸を開始した。続いて、3時19分には空母から発信した日本海軍の攻撃隊がハワイの真珠湾に対する空爆を開始して、ここにアジア・太平洋戦争が始まった」(P12)。
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  歴史学者・吉田裕氏の『日本軍兵士』(中公新書 2017)の「序章」「開戦」の書き出しである。この一節が感慨深かった。当時の大東亜戦争は、真珠湾攻撃よりも1時間ほどマレー半島への上陸攻撃が早かった。これを指摘したのは北海道の主婦たちの勉強会グループだった。あまり触れてこなかった歴史学者もこれを認めて書くようになったのかもしれない。

  映像の世界では、「絵」が欲しい。開戦といえば真珠湾となる。攻撃する爆撃機、燃える戦艦が繰り返される。この前のNHK「歴史ヒストリア」もしかり。実はその時間差1時間も諸説ある。あるいは開戦の捉え方もいろいろある。マレー半島に極秘に向かった日本艦隊も、途中で飛行してきたイギリス軍の飛行機を打ち落としている。秘密保持のためだが、「これは開戦」に当たらないのかどうか。「宣戦布告」の有無が問題か。

  それはさておき『日本軍兵士』は読みたかった本。今まで歴史学は、なぜ無謀な戦争を始めたのか、終戦のプロセスに重点があった。著者は、開戦から終戦まで日本軍兵士はどのように、どのような装備で戦ったか、どのように亡くなっていったかを証言を交えて書いていく。日本政府によれば、日中戦争含めて軍人・軍属が約230万人、外地の一般邦人が約30万人、国内の繊細死没者が約50万人、合計」310万人が亡くなっている。

  その9割281万人は、昭和19年7月のサイパン島陥落以降に亡くなっているという。これは推計である。何故か、戦没者の数を各県で年別に集計していないからだ。唯一岩手県だけが集計していたので岩手県の推移を全体に当てはめているということらしい。この事実も考えさせられた。

  そして兵士の死亡原因の多くが戦死ではなく、水難死や飢え死に多いことも明らかにしている。吉村昭氏の短編「海の棺」(『総員起シ』所収)は、攻撃を受けた日本艦船の遭難を取材している。東北の浜に多くの兵士が打ち上げられ、中に腕が切られている死体があった。浜に向かうボートのへりを海に投げ出された兵士たちがつかまる。このままではボートが沈む。乗っていた将校が日本刀で腕を切って落とした、と推測される・・。

  史実に忠実な吉村氏は取材して書いたのだと思う。『日本軍兵士』で昭和20年4月、北海道新冠郡節婦沖での大誠丸の悲劇と知った。海上機動第三旅団に属する船だ。今、地図で確認すると場所は太平洋岸なのでアメリカ潜水艦による攻撃と思われる。将校に腕を切られる話は『戦艦大和』にもその証言がある。

  何も軍刀をかざす将校を責めようと思わない。自分だったらどうしたかと考える。雑誌で読んだ考古学者・大塚初重氏の戦争体験も思い浮かぶ。海軍兵士を船底に収容していた艦船が魚雷攻撃を受けた。甲板に通じる階段が吹っ飛んだ。僅かに手すりがぶらぶら揺れている。大塚兵士はジャンプして飛び移った。その後をほかの兵士も続く。このままでは手すりが重みで落ちてしまう。夢中で下から上ってくる兵士を足で蹴り落とした・・。

   「蜘蛛の糸」ではないか。一緒に落ちてもやむを得ないとそのまま甲板に向かうか、自分だけでも助かりたいと下の男を蹴り落とすか、究極の判断を迫られる。戦争・戦場では極限状況に私たちは置かれるのだ。ジャングルを逃亡中、一人の敵兵と遭遇した若い日本兵が居た。彼は敵を撃たない、殺さないと密かに実践してきた。今、撃たないと自分が撃たれて殺されるのだ。この兵士も究極の選択を迫られた(事実は、相手の若い米兵もなんとなく撃たずにすれ違ったそうだが・・)。

  

 やっと新しいキーボードが午後一番で届いた。26日朝、サンルームで朝刊を読んだ後、ブログを書こうとPCを開いた。パスワードを入力しようとしたら、まったく印字できない。PCのUSBキーボードが働かない。購入したのがいつだったか。1年間とは経っていないのにもう故障?
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  息子に連絡した。キーボードがロックされたのかと思ったのだ。だが、問題は解決はしなかった。話している途中、キーボードをいろいろ触っていたら、印字できる文字もあった。原因はUSBキーボードにありと判った。みると、本体とキーボードをつなぐコードが一部溶けていた。サンルームに居る時は早朝や午后、灯油ストーブを点ける。すぐ前でPCを使っているが、ストーブの前に垂れていたコードが焼けたのだと思う。早い話、断線。

  すぐにUSBキーボードを買いに行こうかと思ったが、息子がネットで安いものを注文してくれることになった。アマゾンの本の発送は早い。プレミアム会員ではないが、注文して翌日には来る。息子がどこに注文してくれるのが判らなかったが、翌日には届くと思ったが、今日の午後になった、というわけ。  

  新しいキーボードをつなぐ。前のはテンキーがなかったが、今度は付いている。起動させ、パスワードを打つ。●が現れる。ホッとする。早速、メールをチェック。甥っ子にはシジュウカラの写真を送っていたが、間違いなくこの鳥だという返信。旧サークルテニスメンバーからは今までのお礼のメール。近現代史読書会のメンバーからは、今後の運営などに関する相談などがあった。

  キーボードは使えるようになったが、PCの問題はまだ多い。一番はスピード。遅い、とにかく遅い。重いのだろう。ヤフーニュースを3,4本みるだけで30分かかる。映像ニュースは、映像がでるまで5分以上かかるか、途中でNGとなる。これではISDNから光ファイバーに替えた意味がない。<書き終えて写真をアップしようとしたら、30分以上待たされた>

  今年の高校ラグビーが昨日から始まった。毎年、MBS中継をネットで観る。これが楽しみなのだ。ブログを書き終えたら、ネットしてみるがスムーズな動きはまったく観られないだろう。地上波での深夜番組でダイジェストを観るしかない。コジルリのMCぶりが楽しみでもあるので良いが、やはりライブで観たい。息子が白州に来たら、先ず一番でPCをみてほしいと思っている。

  PCが使えない3日間だったが、プラスになった面もある。途中でウトウトし、30分で1頁と言うときもあったが、読書時間や分量が少し増えた。PCが速くなると、ヤフーニュースなどに取られる時間も少なくなるだろう。読書時間を増やしていきたい。ただ、数独は新問題は見ることができなかったが、手書きの過去の問題に再チャレンジ。やはり病気だ。
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 昨日は天候不順だった。朝8時ごろ、雨模様が一服して朝日も出た。見ると、外に虹がかかっていた。朝から虹とは珍しい。あわててデジカメを探した。このあと、雨と風が北窓に吹き付けてきた。すぐに窓を閉める。虹もかき消えていた。
 

   「おねしょ」したのかと一瞬思った。朝4時半に目覚めトイレに行った後、ベッドに戻り湯たんぽをお腹にあてた。湯たんぽは毛布の外にあったのか少し冷たくなっていた。ウトウトしたとき、お腹からぼこぼこ音が聞こえていた。腸がおかしいのかと思ったが、そのまま眠った。
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   気が付くとTシャツが濡れている。Tシャツだけではない、敷布の毛布も濡れている。おねしょ?と思ったが、湯たんぽの蓋が緩み、蓋側が下になったとき、中の湯がこぼれたとわかった。お腹が鳴った音も、湯がこぼれて湯たんぽ内部がそれにつれて音がでたのではないかと今では推測する。途中で蓋を回したことは考えられないから、昨夜湯を入れた時きっちり閉めなかったのではないか。おねしょでなくてよかった。
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  ところで、昨日午後はサークルテニス最後の日。3人だったので早めに終わろうとしたが、元コーチの方が見えた。それで4時までびっしりとプレーした。強風の中、いいところを元コーチに見せたいと力が入ったのか、凡ミスが多く、試合は散々だった。彼を相手にストレートのパッシング2本を決めたのがせいぜい。

  試合を終えて、5缶残っていた新球缶のうち4缶は各自に、残り1缶は抽選となり元コーチが当選。サークルで使っていたボールとカゴはみな辞退し、私がもらうことに。残金は12月分のコート代を差し引くと、約3600円。このあと食事会をする予定だったが、時間が中途半端なので近くの喫茶店に行くことにした。

  新しくできた「台ケ原カフェ」である。一人用があると辞退したので3人が向かった。木の香りが漂う店内はクリスマスムード。4時半過ぎにカップルが入ってきたがそれまで3人だけ。1月12日午後にはこの店でテニス部の表彰式を兼ねた新年会を開く。22人までということだが、16人いくかどうかだ。
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  この時間、モーニングもランチセットも頼めない。3人の予算単価は1200円。ここにはケーキが並んでいた。コーヒーのほか、小さなケーキ2個で予算はちょうどだった。家に持ち帰る人が多かった。レギュラーのTさんは死後の例会もコーヒータイムも不参加。先週、腕を痛めて途中で帰られた。Tさんたちはほかのサークルで活躍しているから、火曜サークルがなくなっても問題ない。

  甲斐市から来ているMさんだけ、練習コートがなくなる。私は気になっていた。私は月水の午後連に参加してはどうだろうと思った。通う時間も20分短くなる。Hさんには一人増やしていいか、聞いてみた。OKということなので誘っている。料金も2時間100円。時間があるときだけ、自由に参加するだけの好条件だと思うのだが。

  わが家の戻る途中、この日の横手コート使用日時などをクラブハウスの日誌に記入してくるのを忘れたことに気付いた。「残務処理」に気を取られ、ハウスにさえ入らなかった。戻る途中寄ったが、ドアには既に鍵が架けられていた。今朝はもう9時半をまわったから、これから西部教育センターに電話しなければ。そしてお世話になったお礼も。

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