古いPCを2mくらい上から左足親指の上に落として「不全骨折」(ひび)を起こしたのはちょうど1週間前の月曜夕方。明日はレントゲンで再撮する、ひびは問題ないと思われるほど痛みは回復している。PCが当たったとき衝撃がありジンと来て「飛び上がる」ほど痛かった。また、爪がはがれるのではないかと思った。今、「ジンときて」「飛び上がるほど」と表現したが、こうした感覚的な表現を集めた辞典があることを知った。
私が借りたのは『類語分類 感覚表現辞典』(中村明 東京堂出版 2020)。私たちの感覚は目、耳、鼻、舌、皮膚と言う五官の違いに応じて視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に分けられる。著者は日本の文学やエッセイから表現用例を集め、辞典として編集された。視覚に関する用例が半分を占めたという。『感情表現辞典』と対になるもの。
私が味わった足指の痛さは触覚の範囲で「痛痒」に分類されていた。足に関しては「さっきから、彼の足の痛みはまた始まっていて、こもるように痛んでいたが、堪えられないほどでなかった」(小川国夫=施療病室)「左足指の激しい突き抜けるような痛みが険しい岩角のように現れてくる」(庄司薫=赤頭巾ちゃんきをつけて)などの例が出ていた。「激しい突き抜けるような痛み」を「険しい岩角」に例えている。小説家はやはり違う。
ところで依然として月に1,2回は左目を中心に鈍い痛みに私は襲われている。激しくはないが、じんわりと痛んで強いときは何もしたくない。この痛さを眼科医に伝えたいのだが、うまい表現が見当たらない。データ的には問題がないので「眼精疲労」「睡眠不足」に落ち着く。私の症例にぴったりくるような表現がないか探してみた。
触覚の「痛」に関しては41例の表現が取り上げられているが、3例しかない。「風がひゅうひゅう強く吹くので、泣いた跡の脹れぼったい眼の縁がヒリヒリしました」(谷崎=痴人の愛)「刑務所の独房に戻って、一二日目がちかちかと痛い」(小林多喜二=党生活者)「煙が強く眼にしみてくる」(城山三郎=辛酸)とあるが、私の目の痛さを表現ではない。
こうなれば、自分でなんとかぴったりくる表現を考えて眼科医に訴えたいが、その表現が正しく理解されるとは限らないことがミソだろう。もしかしたら、カルテを調べれば、過去に患者が訴えてきた症例のストックがあり、私と同じような痛みも見つかるかもしれないが・・。
痛みはともかくとして、視覚・味覚はすぐに応用したいような表現が見つかるかもしれない。私は毎朝のように縄文遺跡が眠る田んぼ周辺を歩く。早朝なので日の出の写真を撮るし、開けやらぬ空に白い月が浮かんでいることも多い。この『感覚表現辞典』で面白いなと思った表現をいくつか挙げてみよう。
「そんな陽射しを透きとおる大きな布が空から地上にむけてひらひら伸びてくる」(高橋たか子=天の湖)「栗の若葉の隙間をくぐり抜けた日射しが太い雨のように降っている」(三浦哲郎=ユタと不思議な仲間たち)「インクのしみのような太陽がわずかばかりの薄明を地上に投げている」(福永武彦=草の花)「やっち」と十時頃渓向こうの山に堰きとめられていた日光が閃々と私の窓を射はじめる」(梶井基次郎=筧の話)・・・。
ところで、私の目の痛みとともに、私のウトウトがかなり深刻である。5,6時間睡眠を確保しても読書中であろうとテレビを観戦中であろうと転寝し、時には軽いいびきをかくあるいはよだれをたらす始末。この原因の一つには、昨年春からの睡眠薬「ベルソムラ」の服用にあるのではないかと考えるようになった。服用すれば睡眠時間はあと1時間は確保することができることはわかっている。
しかし、成分はまだ体の中で生きており、それが転寝を必ず引き起こしているのではないか。それで昨夜から試しに睡眠薬ゼロを試してみることにした。実質9時半に寝たと思うが、12時半に目が覚めた。多分寝られないと思い、本を読んだ。睡魔が来たのでライトを消した。次は2時半に目が覚めたがやはり寝付くことはできない。幸い、5時前には夢を見たのでウトウトできと思う。月末、神経内科の定期診療日まで睡眠薬を服まないつもり。
それにしても軽い転寝を表現するのに、私は「ウトウト」という言葉しか使っていない。何かほかに言い表せないかと『感覚表現辞典』を開いてみたが、「眠り」の例文は何もなかった。辞典違いのようだ。
私が借りたのは『類語分類 感覚表現辞典』(中村明 東京堂出版 2020)。私たちの感覚は目、耳、鼻、舌、皮膚と言う五官の違いに応じて視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に分けられる。著者は日本の文学やエッセイから表現用例を集め、辞典として編集された。視覚に関する用例が半分を占めたという。『感情表現辞典』と対になるもの。
私が味わった足指の痛さは触覚の範囲で「痛痒」に分類されていた。足に関しては「さっきから、彼の足の痛みはまた始まっていて、こもるように痛んでいたが、堪えられないほどでなかった」(小川国夫=施療病室)「左足指の激しい突き抜けるような痛みが険しい岩角のように現れてくる」(庄司薫=赤頭巾ちゃんきをつけて)などの例が出ていた。「激しい突き抜けるような痛み」を「険しい岩角」に例えている。小説家はやはり違う。
ところで依然として月に1,2回は左目を中心に鈍い痛みに私は襲われている。激しくはないが、じんわりと痛んで強いときは何もしたくない。この痛さを眼科医に伝えたいのだが、うまい表現が見当たらない。データ的には問題がないので「眼精疲労」「睡眠不足」に落ち着く。私の症例にぴったりくるような表現がないか探してみた。
触覚の「痛」に関しては41例の表現が取り上げられているが、3例しかない。「風がひゅうひゅう強く吹くので、泣いた跡の脹れぼったい眼の縁がヒリヒリしました」(谷崎=痴人の愛)「刑務所の独房に戻って、一二日目がちかちかと痛い」(小林多喜二=党生活者)「煙が強く眼にしみてくる」(城山三郎=辛酸)とあるが、私の目の痛さを表現ではない。
こうなれば、自分でなんとかぴったりくる表現を考えて眼科医に訴えたいが、その表現が正しく理解されるとは限らないことがミソだろう。もしかしたら、カルテを調べれば、過去に患者が訴えてきた症例のストックがあり、私と同じような痛みも見つかるかもしれないが・・。
痛みはともかくとして、視覚・味覚はすぐに応用したいような表現が見つかるかもしれない。私は毎朝のように縄文遺跡が眠る田んぼ周辺を歩く。早朝なので日の出の写真を撮るし、開けやらぬ空に白い月が浮かんでいることも多い。この『感覚表現辞典』で面白いなと思った表現をいくつか挙げてみよう。
「そんな陽射しを透きとおる大きな布が空から地上にむけてひらひら伸びてくる」(高橋たか子=天の湖)「栗の若葉の隙間をくぐり抜けた日射しが太い雨のように降っている」(三浦哲郎=ユタと不思議な仲間たち)「インクのしみのような太陽がわずかばかりの薄明を地上に投げている」(福永武彦=草の花)「やっち」と十時頃渓向こうの山に堰きとめられていた日光が閃々と私の窓を射はじめる」(梶井基次郎=筧の話)・・・。
ところで、私の目の痛みとともに、私のウトウトがかなり深刻である。5,6時間睡眠を確保しても読書中であろうとテレビを観戦中であろうと転寝し、時には軽いいびきをかくあるいはよだれをたらす始末。この原因の一つには、昨年春からの睡眠薬「ベルソムラ」の服用にあるのではないかと考えるようになった。服用すれば睡眠時間はあと1時間は確保することができることはわかっている。
しかし、成分はまだ体の中で生きており、それが転寝を必ず引き起こしているのではないか。それで昨夜から試しに睡眠薬ゼロを試してみることにした。実質9時半に寝たと思うが、12時半に目が覚めた。多分寝られないと思い、本を読んだ。睡魔が来たのでライトを消した。次は2時半に目が覚めたがやはり寝付くことはできない。幸い、5時前には夢を見たのでウトウトできと思う。月末、神経内科の定期診療日まで睡眠薬を服まないつもり。
それにしても軽い転寝を表現するのに、私は「ウトウト」という言葉しか使っていない。何かほかに言い表せないかと『感覚表現辞典』を開いてみたが、「眠り」の例文は何もなかった。辞典違いのようだ。