白州の杜からブログ

本とコーヒーと犬との生活

2021年02月

   昨日「デポ」に着いたのは10時5分前。開店までの間、ジャッキーを散歩させる。彼女が甲府近くまで来たのは初めてだろう。1時間車内でおとなしくしていた。少しでも、私の側に居させてやりたい。帰りには、そうだ、信玄堤の公園で遊ばせよう。あの河川敷も初めてのはずだ・・。
DSCN6945

 結局、テニスラケットは張り替えるのは止めた。デポでは黒色のアルペンカードの特典が無くなっているのがわかった。ガット張り50%オフがゼロ、Tポイントもつかない。それなら朝練相手のHさんに頼もう。高いガットを張るが、張り代も考えるとこの店よりは安くなる。わざわざ1時間かけて取りに行くこともない。すぐに退会手続きも
取らなくては。何年前から会費が有料になっているはずだ。
DSCN6946

 帰りには甲斐市にある竜王図書館に寄り『憲法九条と幣原喜重郎』を借りた。今日の講演者である笠原一九司(とくし)氏の昨年の著書。実は金曜に借りようと武川あたりまで行って、竜王図書館は金曜休みであることを思いだしUターンした。もう講演まで時間がないが、一部でも目を通してよかったら行くつもりだった。
DSCN6940

  竜王図書館から釜無川信玄堤に出る。ジャッキーを外に出すと喜んでうんちをする。ゆっくり河原を歩きたいが、昨日は風が強すぎた。河原なので風を遮るものがない。寒くてたまらない。早々に車に戻る。また風のない日に来ような、ジャッキー。川と南アルプスをバックに彼女を撮りたいと思ったが、いい写真は無理だった。
DSCN6941

  昼飯も抜いて著書を読んだ。「平野文書」を全文読んだ。幣原喜重郎が衆議院議長の時、岐阜から初当選を果たした平野が秘書を務めた。幣原が亡くなる二週間前に平野に口述筆記させたもの。その内容は、幣原の平和への思いからマッカーサーとの秘密会談で九条の提案をしたこと、平野に秘密を守るように話していることなど十分説得力のあるものだった。幣原元首相を見直した。今日の講演会には行かなきゃ、損だ!

  昨日を入れて先週は三回ドライブとジャッキーを散歩に連れ出した。様子がおかしいのだ。食欲が細っている。リビングに遅くまで居て、私の側から離れない。二日前はトイレにいる私のところへ入ってきた。そのあと風呂ではドアの外で待っている。開けてやると中に入ってきた。あんなにシャワーが苦手で風呂に入るのは嫌がったっていたのに。昨日はアイスクリームを残した・・。何とか、私と一緒に居られるようにしてやりたい。
DSCN6944

  今朝のジャッキー、外見は変わらない。散歩の動きも相変わらず。いつもの元気さが戻ったようだ。。ドッグフードももりもり食べた。デザートのリンゴは食べたものの、大好きなイチゴは匂いを嗅いで口にするのを止めた。体の内部で何か異変が進行しているように感じる。早いうちに動物病院で診てもらおう。毛が無いお腹を見て皮膚病だと思い診てもらったら「避妊で刈った跡、なんでもない」と仏頂面で言われて以来、ここ数年ご無沙汰だ。

   夜があけるのがだんだん早くなっている。今では6時になると外が薄明るくなる。今朝、目覚めたとき、カーテンを閉めていなかった窓から漏れる薄明かりがそんな感じだった。もう6時か、よく寝たなと起きることにした。ベッドの隣に白い物体が見えた。ジャッキーだと思い、いつものようにハグしようと手を伸ばしたら、白い丸椅子だった。薄明かりの中で裸眼視力が0,0×の私は見誤ったのだ。これには私も笑ってしまった。まだ5時前だった(撮影は7時半ごろ)。
DSCN6937

  私の視力が落ちたのは、高校生のときである。右目を何かの手術をした後、眼帯を掛けていた。どのくらいの期間か忘れたが、取り外したら左目の視力が極端に落ちている。片目で本を読んでいたのが悪かったのだろう。しばらくして右目も落ちてきた。視力は下がる一方となり、メガネが必要となった。そのメガネもどんどん度を強めることになり、30才代では裸眼で「0、0×」という始末。さらにいつしか乱視もひどくなった。

  こうしてメガネを掛けるようになって不都合なことがいろいろ起きる。冬の時期は困る。レンズも冷えたまま暖かい室内に入ると急に曇ってしまう。若いとき、起用した純アリスさんと新宿西口の広いレストランで待ち合わせした。寒い外からドアを開けて中に入った途端、視界が悪くなり、立ち往生してしまった。彼女がどこにいるかわからない。相手が人気タレントさんだから、無様な姿をみせまいと焦ったことを思い出す。

  若いときは度付きサングラスにした時もある。野坂昭如気分である。ただ、色は彼ほど黒くなかった。薄い茶色のレンズだった。ここ3年は韮崎の眼鏡屋さんで、メガネに掛けられるサングラスを見かけた。室内では掛けないが、外ではサングラス越しに見るようにしている。日が射すと外の風景が明るすぎる。これは白内障の症状の一つだったと考えている。
DSCN6938

  後期高齢者1年生を迎えて、眼鏡で今困ることは朝起きてメガネの存在。ベッドでテレビを見た後は本棚の一角に置いている。リビングなどで本や新聞を読むときはメガネを外す。後でどこへ置いたか探し回すことになる。散歩に出る場合絶対必要と言うわけではないが、あった方が間違いない。探して見つからず、ジャッキーが早く早くと催促するときはPC用メガネを掛けて出る場合もしばしば。このメガネは遠くがぼやけている。

  4月に白内障手術を両眼受けることになったが、その理由の一つがうまくいけば外に出る時メガネが必要なくなるという話を聞いたこともある。手術は遠くか近くか、どちらかをはっきり見えるようにする。全部見えるようになる手術もあるがこれは保険も聞かず、失敗例も聞いた。遠くを見るメガネと近くをみる老眼メガネが必要になったらしい。私はテニスをするので遠くを見るほうをお願いする。

  それでも近くを見る場合は老眼用メガネが必要になる。それくらいはなんともない。手術がうまくいけば、長年苦しんだメガネとサヨナラできるのだ。メガネを掛けない普段の暮らしはなかなか想像がつかない。朝、目覚めると室内がはっきり見えるのだろうか。薄明かりで白い丸椅子をジャッキーと間違えることはなくなるのだろうか。
なかなかそんな世界が信用できていない。失敗する場合は悲惨な結果も起きるかもしれない。
DSCN6935

  ちょうど6時5分過ぎ。外がだいぶ明るくなってきた。後ろのリビングでジャッキーがスタンバイしているだろう。ブログはメガネを掛けずに書いていたので、まだメガネを探していない、リビングのどこかに置いてあるはずだ。最近、朝起きるとインスタントの「抹茶ラテ」を飲む場合が多い。この残りを飲み干したら、散歩に出かけよう。
写真は戻って明るくなってから。
  

  

  
 

DSCN6928

   諏訪湖に注ぐ上川の右岸を久しぶりに走る。一方通行なのでノンストップで通過すると気持ちが良い。ツレアイが諏訪日赤病院で入院した時毎日通った道だ。諏訪湖まで走ってもよいが、一つ手前の橋で街中に入る。病院に近づいたところで、信号が新しくできていた。ここを右折しながらこの道でよかったかと心配になったが、なんとかだだっ広い駐車場に着いた。
DSCN6929

  白内障の手術を受けるにあたって、富士見高原病院から諏訪日赤を紹介された。再訪するなら、施設で訪ねたいところがあった。広い玄関ロビーにあった「よつば文庫」。病棟へ行く途中、あるいは病室を抜け出して文庫本を読ませてもらった。昨日、出かけたが待ち時間は文庫を読ませてもらおうと、読みかけのミステリーも持って行かなかった。
DSCN6930

  ロビーに入ると文庫は消えていた。片隅に棚が集められビニールをかぶせていた。コロナ禍で閲覧も貸し出しで中止になっている。気づくべきだったが失敗。9時30分に来院するようにと言うことだったが、10分に受付に行く。診察券は新しく作ってもらった。カード代を自動支払機で精算して領収書を渡すと、新しい診察券がもらえた。受付ナンバーは255番。
DSCN6931

 このあと内科横の眼科に向かった。びっしりと席を埋めた患者さんの数に驚く。(後で内科の患者さんも入っていることがわかったが)。診察は10時から11時の間となっていたが、医師は二人だが、パネルに何番の患者が診察されているか、何分遅れているか表示される。看護師さんは5、6人いて、検査は彼女たちがを受け持っている。私も10時半ごろ、番号が呼ばれいろいろな検査が始まった。

  眼科を出て、採血、心電図、レントゲン撮影もあった。採血は2週間前にも富士見高原病にもあった。この時は2本のサンプルだったが、昨日は3本も取られる。11時半ごろやっと診察室に呼ばれる。左が悪いが右も手術するかいと聞かれお願いした。3か月前に私が初めて緑内障だけでなく白内障でもあることを話されたので、どこまで進行しているかもわからなかった。そうか左の方が悪いのか。

  オペの日を告げられた。4月の中頃、まず左目、2週間後に右目。入院するかどうかも聞かれたが、即日を希望。これで犬の心配はなくなった。オペで入れるレンズは遠く、あるいは近く中心かは問われなかった。「遠く希望」と紹介状に記されていたと思う。両方見えるという「多焦点レンズ」はパスした。これは保険が利かないし、両方でメガネが必要になった失敗例も事前に調べていた。

  オペの内容は診察が終わってから看護師さんから説明された。水晶体を包む膜を切開し、約3ミリのキズから超音波で吸い出すもの。残した薄い膜には眼内レンズを入れる。レンズの厚さはさらに検査して先生が決めるという。運動は1か月禁止。4月半ばから1か月はテニスも我慢しなければいけない。5月中頃にあるスポレク大会には参加できそうもない。

  こうして最後に精算を済ませた時刻は12時半を回っていた。実は、もう1か所行きたい施設があった。売店に続くレストラン。ツレアイのオペのあと1か月後に主治医とこの場所でお会いした。軽い調子で「リンパ腺に転移していたよ」というセリフを聞いて、彼女の未来が長くないことを知った。切なかった、私は廊下の陰で泣いてしまった。
DSCN6933

  このセリフを聞くことになったレストラン、病院を紹介されて精密検査を受けた日に一緒に食べたレストラン、
諏訪湖が一望できるレストランでもう一度食事をしようと思っていた。ところが時間も時間だし混んでいて、メニューを見ても食べたいものがなかった。パスして売店でおにぎりにした。

  瞳孔を開く薬で視界もはっきりしなかったが、運転には差し支えなかった。帰りは上川の左岸の一方通行を通った。左岸は桜並木が続く。あと、1,2か月すれば花吹雪が舞うだろう。ツレアイはこの満開の桜も見ることなく、花吹雪舞い散る土手道を走ることはなかった。
 

    また開始時間を間違えていた。山梨平和ミュージアムの浅川保館長の市民自主企画講座(全4回)が昨日から始まった。会場は甲府駅南の生涯学習センター。10時から11時半までだったが、10時半から90分と思い9時前まで新聞を読んでいた。ふと、赤い紙の講座案内を見て10時開始と知り、慌てて車に乗った。なんとか9時51分(駐車券の刻印)に県庁駐車場に滑り込んだ。
DSCN6924

  講座のタイトルは「戦後75年、戦後処理・平和を考える」。18人募集で、まだ数席埋まっていなかった。今回は「ポツダム宣言と戦後日本の出発」。資料7枚を使って浅川氏が話された。過去2回の任命拒否問題学習会の司会進行をされたので早口なのはわかっていた。3列目に座っていたが聞き取りにくい。高校や大学で授業を持たれていると朗読に適した声になるものだが、これは困った。私の耳が遠くなったこともあるだろうが。
DSCN6921

  内容で注目されたのは、①昭和20年2月11日のヤルタ協定にある「千島列島」の範囲。江戸末期の和親条約で択捉・国後・歯舞・色丹島は日本帰属となっているが、ヤルタ協定では択捉・国後までロシア領と解釈され、世界では常識になっている。日本が四島返還を主張しても厳しいとのこと。クエスチョンマークもつくが・・。

  ②昭和23年のGHQマッカーサー元帥あての内部文書の内容。当時アメリカは沖縄などを軍事占領を続けたい意志があった。昭和天皇はそれでよいと側近の寺崎英成がGHQ高官に伝えたというもの。「主権を日本に置いたままでの長期租借方式に基づいて行われるべきと考えている」。これが昭和天皇の「琉球処分」と伝えられている発言だ。

  昭和天皇の同意と承認があったからアメリカの永久基地化が行われたという解釈になるが、新憲法下で象徴の地位にある天皇の承認を得なくても絶対権力を持つGHQは実行し得たはず。この昭和天皇の発言が実際にあったかどうか、公開されて寺崎英成がどう反論したか知りたいものだ。事実なら沖縄の人たちは昭和天皇を絶対に許すことはできないだろう。

 ③新憲法第9条提案をしたのはアメリカではなく時の首相・幣原喜重郎説。これは以前からマッカーサーだ、幣原だ、合作だといろいろあったが、都留文科大の笠原十九司名誉教授が『憲法九条と幣原喜重郎』を二年前に出版、「平野文書」を発掘し幣原説を唱えたという。外務大臣として協調外交を展開した幣原はもともと平和主義者として捉え、亡くなる二週間前に衆院議員平野三郎に「黙っていたが、私が発案した」と口述したというのだ。

  当時は帝国主義の時代。幣原外相は軍部を押さえ英米と協調しながらあくまで大日本帝国の国益を追求した人物。今でいう平和主義を唱えた外交マンではないことは短い近現代史の学習で学んだ。マッカーサー回想録でも幣原が提案したと書いているが、回想録は信用できないのが常識。結局、物証とはならない。私が疑問をぶつけると浅川氏も認められていた。
DSCN6923

  この笠原氏は2月28日、山梨平和ミュージアムで講演するという。同じテーマで「9条 幣原発案説」を唱えられるのだろう。まだ平和ミュージアムも訪ねていないので一度伺いたいのだが、笠原氏の講演は以前「日中戦争論」のテーマで聞いた。このとき、いい加減な講演で驚いたことがあるので考えてしまう。時間がないが、新著が県立図書館にあれば、読んでからと思ったものの本棚になかった。さてどうするか。

  今回の講義で一番参考になったのは『国体論』(白井聡)の紹介。昭和天皇が昭和20年9月27日マッカーサーと会ったとき「全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるため訪ねた」という有名な言葉に対する考察。「このセリフがあったかどうかではない。この発言が新しい神話を創り出した。そこに<戦後の国体>を構成する政治神話学の原点が潜んでいると指摘したそうだ。

  こちらの本の方が面白そうだ。県立図書館で探したら、書庫にもない。帰ってから検索したら笠原氏の新著と『国体論』も竜王図書館にあることがわかった。これを予想して竜王図書館に寄ろうと思ったが、帰り道を間違えてしまった。『国体論』はライブラリーはくしゅうにもあることがわかってすぐにリクエスト。今日、病院の帰りに借りる予定。
DSCN6925

  県立図書館では電子書籍を借りるつもりでタブレットを持って行った。まず登録が必要とカウンターに行ったら、各自が好きなIDを作って自分で登録するそうだ。自宅でできたなんて。実は車にガットが切れたテニスラケットも乗せていた。帰りにデポに寄り、安いガットを張るつもりだった。これも道を間違えたおかげで、次の機会となってしまった。
DSCN6922

    わが家のジャッキーが少し変だ。体の調子が悪いのだろうか。昨朝は6時半に散歩に出ようと、リビングで待機していた彼女をサンルームに出し、そこから外に行こうとした。ところがサンルームのドアを開けても、出て行こうかリビングに戻ろうか迷ってうろうろしている。何より散歩が好きなのに。この時はやっと出てきて散歩に出たが、グイグイ歩き出し私はホッとした。うんちも私より大きいものをいつものようにした。が、異変は続いた。

  帰ってからドッグフードを食べない。私の食事の時はいつもはリビングに居るのだが、昨朝は北側にあるダイニングテーブルの下に入り込み寝そべったまま。最初は食パンの残りも口にしなかった。おかしい。3日ほど前まで豚肉を少し焼いてあげていたが、この豚肉が古く十分に焼き切れなかったのか。あるいは睡眠不足だったのだろうか。

  というのも私は寝室のベッドに9時過ぎに入ることが多い。そこで本を読んだり録画したテレビを見たりする。ジャッキーは早くからこのベッド横の丸いベッドで丸まりいびきをかきながら寝ているが、彼女にとっては迷惑な行為だろう。ここ3日間暖かい日が続いた。薪ストーブを使うまでもない。寝室の灯油ストーブで暖を取りながら8時過ぎからいた。一昨夜は録画した映画を見ていた。10時過ぎには眠くなったので、見るのは中断して、灯りも消した。

  しばらくして、私のベッドの下に彼女が入り込む音がした。雷の音がするとここに潜り込むことはあったが、何もないのに珍しい。眠りたいのに灯りとテレビの大きな音だ、寝られやしないと私に対する抗議や当てつけの意味も込めてベッド下に潜り込んだと私は理解した。1,2時間早い寝室入りで彼女は睡眠不足になったかと体調を心配したのである。
DSCN6916

  昨日は富士見図書館に本を返却することになっていた。そこで調子の出ないジャッキーを気晴らしに連れていくことにした。声を掛けて車の鍵を手にしただけで彼女は反応し、早く早くとリビングの硝子戸を前足で叩いた。最初に図書館近くの分水公園に停めた。外に出ると風が強く、こちらは寒くていられない、早々に車に戻ったが少しは満足してくれたと思う。後で知ったが松本は先が見えない砂嵐が起きたようだ。
DSCN6919

  白州に戻ったとき、県道の卵屋さん横を右折する。このとき助手席のジャッキーが激しく吠えた。それで思い出して車を停めた。田んぼの一角にやぎさんが飼われているのだ。一度、写真を撮りたいと思っていた。降りる前から左足を引き摺ってこちらに歩いてきた。足が悪いのかな。ジャッキーは窓を開けた助手席から盛んに吠えている。好奇心とひょっとしたら嫉妬心もあったのかもしれない。元気だ、元気だ。

  昨夜はまた8時過ぎから寝室にこもったが、彼女はリビングにあるマットに座ったままで寝室にいうる私をじっと見ている。やっと9時過ぎには寝室の自分のベッドに入った。ところがだ、今朝4時半ごろにトイレに行き、もう寝られないとわかっていたので起きることにした。散歩には早いので「まだ寝んねだよ」とベッド横にいるはずの彼女に声を掛けた。

  彼女がいたのはリビングの小さなマットが敷いてある指定席。既に起きて私を待っている状態。いつの間に寝室を抜けたのだろう。まったく気がつかなかった。まだ6時前で外は暗い。散歩には行けないとわかっているので、サンルームにいる私に向かって、リビングの硝子戸を叩くことはしない。あと30分以内には、早く早くと催促してくるだろう。

  結局、昨日の「ハンガーストライキ」の原因がわからないまま。最近のジャッキーは私の側を離れないようにしている気味もある。ごはんが終わっても、寝室に行かずリビングで「なぜなぜしろ」と催促する時間が多くなった。昼間、サンルームに私がこもっているとリビングの指定席で私をじっと見ている。サンルームで灯油ストーブを点けているときは中に入ってこようとはあまりしない。

  これは自分が10歳になって老齢期に入ったことを理解しているからだろうか。人間はゆっくりと体力などが落ちてくるが、犬は急に落ちてくる。ジャッキーはこれを自覚していてもっと私の側で過ごしたいと願っているのだろうか。一時的に終わった「ハンガーストライキ」もその一環で捉えられるのか。

  いつも一緒に居たいのは飼い主も同じ。外で一緒に日向ぼっこしたいのに、なかなか寒い外には出てこない場合も多い。テニスコートにも一緒に連れていきたいのはやまやまだが、2,3時間もほっておけない。言葉で話してくれればよいのだが。それでも散歩に出かける時は相変わらず私を強く引張って、元気さは変わらない。そろそろ少し夜があけてきたかな。
 

このページのトップヘ