白州の杜からブログ

本とコーヒーと犬との生活

カテゴリ: 朗読

 私の古いアルバムに、小学校の「学芸会」?に出演した時の写真(右端、後ろ)がある。タイトルは忘れたが、私はフクロウ役で、ウサギ役に比べるとかなり目立った役どころ。楽しかった思い出がある。この1年、芥川龍之介作「藪の中」に取り組んだことになるが、結局一人で脚色・朗読する頃になると、読むことの楽しさ、演ずることの喜びが湧いてきた。ちょうど小学生の時のフクロウ役のときの充実感が蘇った感じ。 
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 朗読サークル「すみれの華」月例会で「羅生門」、続いて「藪の中」を取り上げた。ちょうど出演者が7名なので、今年の10周年記念で部員全員で挑戦することになった。この決定が3月例会だった。長い原作をいかに省略するかなど、なんやかんやあって12月の本番では自分で脚色した「新・藪の中」を一人で読むことになった。ドラマの主役を演じるように取り組んだこの1年、ホントに楽しかったことを告白しておこう。。

 ところで「10周年」は少しサバを読んでいる。「すみれの華」は、7、8年前、部長さんと亡くなられたTさんが二人で立ち上げたもの。お二人は甲斐市主催の集会で毎年戦争に関する童話などを朗読されていた。この時Tさんから「私は病気で引退するので代わりに入って彼女と二人でサークルを継いでほしい」と言われ、私も移住前から朗読を齧っていたので引き受けた。再結成の場に行ってみると、須玉のシニア女性4人が参加されていた。ここから「新・すみれの華」がスタートした。

 この時、部長さんは北杜市の職員で幹部の一人だった。ほとんど欠席という状態。そんな中で元教員のSさんがサークルをまとめ、欠席の部長さんとの連絡もとってくださった。雰囲気はとてもよかった。ただシニア女性4人は韮崎のボイストレーナーに通っていたので、すぐに先生や公演の話になった。これが私には不満だったが、和気藹々と楽しい自主的な勉強会だった。
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 思えば3年前の7周年記念(実質5、6年)朗読会がサークルとしてのピークだったように思う。仕事を辞めて間もない部長さんを支えながら各自が分担して働いた。300円の有料公演だったが120名が参加してくれた。6人全員で茨木のり子の詩も読んだ。私は「さらば済南〜二頭の軍用犬」を再読した。このあとメッセージ「自分の感受性くらい死ぬまで磨く」に惹かれて韮崎のKさんが入部されて、部員数は7人となった。

 部長さんが必ず出席し、リーダーシップをとるようになると部内の雰囲気が少し変わってきた。かつて司会の仕事もこなし、朗読でもキャリアの長い彼女をリスペクトし異論を挟む人はいなかった。輪読した朗読を他の人が感想を述べるのは通例だったが、私はいやだった。自分の滑舌やアクセントがおかしいのに他人のことは言えるわけがない。私が話せるのは作品についてだけである。なぜその作品を選んだのか、この一行をなぜカットしたのか、など作品を掘り下げる質問にしていた。

 それで驚くのは、単に好きだから朗読作品を選んだという部員が多いことだ。「好き」の中身が問題で、なぜ好きか、どこが好きか深く考えない。やはり手っ取り早くうまく朗読したいという意識が強いのだ。それはそれでわかるのだが、自分の選ぶ作品はせめて自分で探し出したい。他の会で読まれた作品、習ったことがある作品を繰り返す場合が多い。中には、本は読んだことがないという豪傑もいる。    

 作品を決めて朗読した人に対して、名指しで感想を求められても「お上手です」「よかったです」とありきたりのことしか私は言えない。なんでそんな甘い作品やありきたりの小説を選ぶんだ、もっと朗読に適した素晴らしい作品が同じ作家であるだろう、朗読も読んでるだけ、などとは畏れ多くて言えない。例会が段々と苦痛になってきた。10周年記念で共同作品を決めるプロセスにも驚いた。ちゃぶ台返しも、リタイアもあった。
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 そこへ持ってきて、10周年におけるW氏の振る舞い。かつての「すみれの華」は消えたと感じた。もう私の出番はない。一人わが道をいく異端者がそこにいるのもまずい。ここで卒業させていただくことにした。いや、当日の後片付けを済ませて帰ってしまった私はもう「除名」になっているかもしれない。連絡もない。後はW氏のギャラ分を除く部員分担金を支払うのみ。

 というわけで、みなさん、7年間ありがとうございました。「卒業」させていただきます。滑舌が悪く、アクセントも治らない私、そして頭でっかちな男である私にによく付き合ってくださって感謝しています。W先生の元、新しい「すみれの華」を築いてください。会のスタイルは違っても「息の絶えるまで感動していたい」をモットーに励んでくださいね。
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 今後は、朗読からも足を洗います。そして「藪の中」論の執筆を続けることと、『犬と戦争』三部作の最後の作品を脚色します。今のところ、シェパードを飼っていた福岡の愛犬家が軍用犬として中国大陸に送り出す手記の脚色を考えています。完成すれば、愛犬家や反戦・非戦・避戦を考える人などを対象にささやかな発表会を開きます。これでもなかなか忙しいので、それがいつになるのやら。生きているうちにできるだろうかと気にかかりますが。。

 10日の「すみれの華10周年記念朗読会」の裏話を一つ。参加された方はご存じだと思うが、高さ40cmの仮設舞台がふれあい会館展示室に設置されていた。出演者は、下手にある屏風の陰にいて、MCから紹介されて舞台に上がる。この時、私を除いた出演者全員は舞台の前で礼をした。「すみれの華」としては初めての儀式。これまでは礼なしに登場した。
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 私が当日集合時間の9時半に会場に着いた時、二人の部員しか来ていなかった。他に着物姿の貫禄のあるシニアの方がいた。私は前日の会場設営時、部長さんから聞いていたW氏と思った。W氏は今年から月1回勉強会を開き、希望する部員の指導にあたってきた。甲府在住で朗読の世界で有名な方らしい。その時の参加者で1万円の謝礼を支払う。私も部長さんから誘われていたが、一度も出席していない。

 このW氏に発表会にお金を出して来てもらうと前日部長さんから突然言われた。リハーサル・本番とアドバイスをもらうが、私はどうするかという。演劇に近い朗読なので、今さらアクセントがどうの、滑舌が悪いと言われてもしょうがない、お断りした。では、私の時だけW氏が退出するわけには行かない、会場で聞いていても良いかと確認する。私もそこまで意固地になる気はない。

 そして当日。10時15分からリハーサルがやっと始まると、このW氏は色々と朗読者に注文をつけ始めた。最初に紹介した登壇する前の礼をはじめ、極付は照明だった。ここは展示ホールで舞台に向けるスポットなぞない。仮設舞台は前日ある部員が言い出して、奥の壁に近く苦労して設置したが、天井についたライトからはやや後ろにある。台本は読める明るさ。リハが始まると、W氏は朗読者の顔が暗いと言い出した。

 前日、こだわった部員は3台の重い平台で構成される仮設舞台をライトの下に出すことを拒否していた。その部員が今度はW氏の指示に従い、ライトの下まで仮設舞台を引き出そうとして、私を呼ぶ。力仕事は黒一点の私の仕事。確かにその位置が良いと私も前日主張していたので手伝った。だが、その部員がW氏の一言で考えを変えるとは驚く。中断されたリハーサルが再開されると、W氏の指示は続いた・・・。

 私の出番である。もちろん礼はしない。読み始めると、W氏の指示が聞こえてくる。事前に私へのアドバイスはいらないと打ち合わせはしていないらしい。W氏はW氏でギャラももらっているから全員にアドバイスしなければと思っているのだろう。私は指示を無視していた。「清水寺に来れる女の懺悔」とやったら「懺悔」と大声が会場に響いた。「懺悔」は平板なのだが、私は頭高に読んだらしい。構わず読んでいると、次のアドバイスは流石になくなった。

 そしてさらに驚いたのは開場タイム。入場してくるお客さんに対して中央で笑顔で迎えている。知らない人が見たら、この人が主宰者に見えただろう。とても初めて「すみれの華」に初めて出て来た人に見えないと思う。不愉快だった。これまでも、やまびこ100回記念では韮崎のボイストレーナーがリハで朗読者以外は後ろを向くようにと指示を出してきたり、7周年記念では効果を担当した方が群読の指導をいきなり始めたりした前例があった。だが、これほどの事はなかった。
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 なぜ、部員は部外者の指示に安易と従うのだろう。自分達で考えて話し合って演出した舞台になぜこだわれないのだろうか。なぜ自信が持てないのだろうか。部長さんも部外者のアドバイスが必要だと思うのは良い。だが事前に話し合って部員全員の納得が必要だが、いつも突然だ。私を除く部員は全員この半年指導を受けていた。部長さんは「<藪の中>の娘役は降りなさい。あなたの声は細くて高くて合わない」とアドバイスされている。今回は「すみれの華朗読会」ではなく「W朗読教室生徒発表会」だったように思う。

 朗読する人は上手くなりたいが一番なのだろう。上手い人の教えを忠実に従う。先生の言う通り朗読することが上手くなる一番の方法と考える人は多い。実際そうなのだろう。だが、こうした朗読の「権威」に対して自分は違うと異を唱える人は少ない。協調第一でもある。表現のひとつでもある「朗読」の在り方は果たしてこれで良いのだろうか。
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 私の「新・薮の中」が今までやったことのない「行飛ばし」をやるなどミスが多く、一番の不出来だった理由のひとつは「W朗読教室」化を色々考えていたせいでもある。そんなの言い訳にすぎない。ごもっとも。失礼しました。


 土曜日に開催された「すみれの華 10周年記念朗読会」は盛況だった。無料・予約なしの定員50名程度としたが、80名を超えていた。折りたたみ椅子を60脚プラス15脚とし、他にスタッフ用として丸いすを15脚、他の部屋から借りてきた。それでも最後は私が立つしか無かった。部員が集めた予約客は1週間前で50名だったので、フリーの客がは3割近くになったと思われる
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 実は、部員ひとり7名予約客を入れるとなっていた。私はテニス部や「歴史カフェ秋桜」のメンバーに勧誘したが、確約は得られなかった。ところが、最後の方でテニス部のあるご夫妻が来てくれた。さらに終了後、6人が来てくれたことがわかって嬉しかった。そのうちの二人からはテニス部で世話になっているからとプレゼントまでいただいた。ありがとう。出番が終わってフアンに囲まれているタレントの心境だった。
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 最初に登場した古手の部員はフアンを越して親衛隊までいる。この人は民話が得意でユーモアのある作品が多い。台本を見ないで「語ろう」としている。少々無謀な試みに近い。今回も登場人物の名前を間違えたが、涼しい顔で「ほら間違えたよ」と言いながら訂正する。これもフアンとの「お約束」で、これがまた受ける。退場シーンにまで拍手が続く人気者。

 第二部トップの私は、近年にない不出来。当日朝早く目覚めたが、セリフの訂正を考えて睡眠不足。ひとり4役で18分朗読したのだが、珍しく「清水寺に来る娘の懺悔」では珍しく行を飛ばした。これが気になって、また飛ばしに近いことをやってしまった。テニス部の連中に聞くと全くミスはわからなかった、気づいて」いなかった。それどころか、とてもよかったという。。

 観客は台本を手に聴いているわけではないので、ごまかしがうまければ気がつかないのだ。それと内容が観念的な部分も多いので、聴いていても分かりにくいのは確か。第一部の後の二人の時、後ろに座ったテニス部の男性はコックリしていた。これは舞台からわかるのだ。私の時も目をつぶっている観客が何人もいた。ただ寝ているのか聞き入っているのか判別しにくかったのだが・・。どっちだった?

 「新・藪の中」は、今昔物語から題材を採った「藪の中」をさらに新たな視点から大胆に脚色した問題作なのだが、娯楽作品には仕立てられなかった。ま、自己満足に過ぎなかったといえる。ただ効果音を使って飽きさせない工夫をしたつもりだが、エンディング音楽の入りが打ち合わせと違って早くなってしまい、セリフが終わる前に曲が終わってしまったことも痛かった。前の晩にテープに自分の声を録音し聴いたこともよくなかった。変わらない滑舌の悪さと下手さ加減。このショックが尾を引いていたように思う。
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 とにかく、なんとか終わってよかった。音効さんも舞台をバラしてホールの倉庫までしまうのを手伝ってくださってありがたかった。もし機会があればどこかで仕事をご一緒したい。昨夜は7時半からウトウトし、8時には睡眠薬も飲まずにベッドに入った。2度起きてトイレに行ったが、今朝の6時半まで寝ていた。疲れていたのはもちろんあるが、最初で最後の「新・藪の中」から解放されてホッとしたことも大きいだろう。

 昨日の昼前、上北田別荘地にサルの大群が押し寄せた。子猿も大物も。隣の家の屋根や敷地だけでなく、わが家の檻菜園北側にも2匹がうろついていた。私は小さな石を拾って投げた。一時、姿を消すがまた戻ってくる。この時、外出する用事があった。止むを得ず車を出す。戻ってくるとサル集団はいなくなっていた。やれやれと思ったが、リビングの窓から檻菜園を見た。
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 檻菜園の扉が半開きになっている。檻菜園の中は白菜3個と小蕪の列、そして多くの仲間と競い合って(つまり間引きがうまくいかなかった)やや大きくなった大根だけである。中に入っても食べるものがないだろうと感じていた。私はドアにかけているネットの一部を檻に引っ掛けただけだった。サルは見事に引っ掛けたネットを外したことがわかった。
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 そして大根の葉が食べられていた。大根自体は頭を齧られたものがあるが、どれも引き抜かれていない。先月の檻がない菜園と同じだ。これはどうしたことだろう。サルと大根。サルは今まで1本を引き抜いて頭だけ少し齧って後は捨てるこのパターンだった。大根自体が美味しいものとは考えていないのだろう。食べるならせめて引き抜いた大根は全部齧ってほしいと腹が立った。

 だが、今年のサルはどうなっているのだろう。大根を引き抜く力がないのか、あるいは引き抜くという発想がないのか、どちらなのだろう。あるいは大根の葉が美味しいと初めて気がついたのだろうか。他に食料がないのなら大根の葉を人間も炒めて食べることがあるが、サルは一度食べてみて、大根の葉が気にいる様になったのか。研究家はどう分析しているのだろうか。
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 今日は特に忙しかった。午前に富士見高原病院で眼科と内科の定期検診。午後は2時から、会場入りし椅子を並べる仕事。だが行ってみると会場には折り畳み椅子が60脚並べられていた。私の仕事はないなと思ったが、舞台にする足場を隣のホールから持ってきてと頼まれる。1、8m✖️1mの台を三つと注文があった。女性陣はこの特設部隊の横や受付に置く華を活けるのに忙しい。結構、汗をかいた。本番終了後の片付けも大変だ。

 夜はさっとおさらいをしたが、「約束」(小池真理子)を朗読した時の小さな録音機を探した。ピンマイクも使えた。そこで「新・藪の中」を録音してみた。これをイヤホンで聴いて愕然とした。ICで聞く声はメリハリもないし、読みも甘い。明日本番というのに、今までの練習はなんだったのか。

 MCによる私の作品紹介は「第二部最初にお届けする『新・藪の中』はご存じ芥川龍之介作「藪の中」を脚色した作品です。三者の証言が異なる死体遺棄事件を独自の視点と大胆な解釈で脚色した『新・藪の中』はどんな世界を見せてくれるでしょうか」という文章に変えてもらった。だが、こんな読みではどんな世界もクソもない。自信はすっかり粉々に。

 自分の声を、朗読を録音しようなどと思わなければよかった。仕方がない、明日の午後はもう本番なのだ。せめて、登場人物になりきって朗読するより仕方がない。会場のマイクを使ってどんな朗読かを探るため、一応、小さな録音機をポケットに忍ばせ、ピンマイクで収録するつもり。中には自分のピンマイクを持参して朗読していたメンバーもいた。もちろん録音もされるのだろう。みなさん色々工夫されるものだ。
 
あゝ

 多分朝5時を過ぎていたと思う。強風が吹き荒れる音をベッドで聞いた。6時半の散歩では今シーズン初めて分厚いロングコートを羽織った。もちろんフードで頭を隠す。田んぼから戻るときは、それまでの北風から甲斐駒からの西風に変わる。この緩やかな道を山に向かって上がっていく時が辛い。フードも飛ばされる。別荘地に入ると、体は汗ばんできた。
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 今日は、ロフトと寝室のベッドや本棚の再配置などで出ていたファイルや段ボール、孫たちのドリルなどを庭で焼くつもりだった。デッキの壺に活けたススキも焼却するはずがあてが外れた。今は強風が収まっているが、焼却は延ばすことにする。落ち葉の季節は、火元を消していても後で落ち葉が燃え出す場合があるそうだ。私は南庭はブで、北庭は丸く土を掘って「土俵内」で焼くことにしている。

 これなら、延焼することはまずない。というのも、相模湖が見える丘に住んでいた時、借りていた畑で刈った草などを燃やしていた。そのときに畑の落ち葉に燃え広がってしまった。慌てて用意したバケツの水をかけたり、足で踏み消したりしたが、無駄だった。近くの竹林にも燃え広がり消防車や地元の消防団も駆けつける騒ぎになったが、結果的にいわゆる「ボヤ」で収まったことがあったのだ。

 この時は産経新聞通信記者で新聞販売店経営の方が、消防署や警察などに手を回す一方、地元消防団団長宅に一升瓶を持っていけとアドバイスされた。そのおかげで警察に始末書を書かずに済んだ(私は始末書OKだったが)。当時は、ビデオ「藤野に疎開した画家たち」を製作したり、藤野・図書館を考える会などで活動していたので、気を遣っていただいたのだろう。

 この方のお父さんも販売店を経営されていた。昭和5年11月14日、時の浜口雄幸首相が東京駅で右翼青年・佐郷屋留雄によって狙撃される事件が起きた。この青年がハッピを着ていた。これは親父のハッピだったとよく話されていた。その理由も聞いたが忘れている。おそらくそのハッピには新聞のロゴが入っていて、警備の人混みの中に入りやすくなったのではとも推測される。

 話は横道に逸れたが、今年の夏、息子が孫たちの教科書やノートなどを燃やすときは、南庭の今までのブロックの囲いでは危険と思ったのだろう。中の土を深く掘った。そしてこの穴の中で燃やし始めた。これで延焼はなくなったが、風が強く吹きだした。すると焼却は中止となり、残った大量の「ゴミ」は私に任せ、帰ってしまった。私はしばらくこの焼却作業に没頭せざるを得なかった。
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 昨日はLINEで10日の10周年記念朗読会で配布するプロクラム原稿が送られてきた。部長さんがMC挨拶の中で朗読する「ひとりで生きる」の文章はなし。これではポスターやチラシと変わらない。掲載することはスペースの問題で無理だと思うが、紙を大きくし、せめて全文を載せてほしかった。朗読で耳から聞いただけでは、なかなか心に浸透してこないのではないだろうか。

 今朝、改めて読んでいたら堀文子の一文から採ったタイトルが「息が絶えるまで感動していたい」となっていた。原文を見ると「息の絶えるまで感動していたい」だった。「息が」「息の」どちらでも意味は変わらないのだが、「が」を使うと少し強い感じがする。私が八ヶ岳ジャーナルに依頼した原稿は原文通り「息の」になっていた。

 「誤字・脱字を見てください」と言われると、その文面だけを見てしまう。他のメンバーは「誤字脱字ありません」と書いていた。私も「了解です」と返事しておいた。ブログを書くために、念のため見たところ、「の」が「が」に変わっていた。もう昨日の段階で印刷に回っているだろう。訂正は間に合わない。あるいは意図的に「が」にした可能性もあるのだが・・・。



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