ところで早朝に観ていたニュースは2週間目の関西テレビの番組。兵士と女学生の文通を描いた「終戦特集」。大正12年生まれ、現在98才の杉本智恵子(滋賀県甲賀市在住)さんは女学生だった昭和12年、先生に戦地の兵士に慰問の手紙を書くように言われた。この年7月に日華事変が起きていた。なるべく故郷に近い兵士にと割り当てられたのは、21才の砲兵・西浦治一郎だった。以後、文通を重ね彼からの軍事郵便は35通を数えた。
いつしか、結婚相手は西浦しかいないと思うようになった。「生きて帰ってください」とは検閲があるので書けない。故郷に咲く草花の押し花を必ず添えた。だが、西浦は砲兵から航空兵に志願し、文面も少し変化していた。無事帰還できれば結婚もほのめかせていた彼は「結婚を申し込むことは、航空兵を志願した自分の良心が許さない。若き日をお国のために捧げる。わが身は犠牲になる」と書いてきた。
その2か月後、杉本さん宅に訃報を知らせる手紙が届いたという。台湾からの帰途、事故で亡くなったとのこと。彼女の思いは届かなかったことになる。彼女は彼からもらった35通の軍事郵便を文箱に収め「軍事郵便につき閲覧禁止」を表に書いて、倉庫に入れていた。思い出も封印したのか。宛名は杉本姓。彼女はその後結婚しなかったのか。あるいは結婚するも姓を戻したのかは明らかではない。
もし独身を通したのなら、写真でしか知らない同郷と思われる兵士に想いをよほど寄せたのだろう。よく、幼馴染が出征して文通を重ねるも相手は戦死、その思い出を語る女性がいるが、戦後、結婚され孫までいる場合が多い。杉本さんの場合は、幼馴染でもなく面識もなかった若き兵士だったが、その一途な思いを貫かれたことになる。
たしかに写真一枚で満州の花嫁になったり、見知らぬブラジル移民の男性に嫁いだりした例も多く、父親の意向が強かった時代である。それでも杉本さんの場合は極めてレアに近いのではないかと思う。彼が事故で亡くなった年月は明らかにされていないが、大東亜戦争前の日中戦争(支那事変)のころではないかと推測される。時代にほんろうされる人間は脆いが強い存在であることも再確認する。
昨日は朝練の後、富士見図書館に足を延ばす。休館かと思ったが「3日~13日まで臨時休館」のチラシをもらった。このため20冊貸し出しとあった。C.J.ボックスの最新刊『越境者』があったのでこれを借りた。日清戦争の資料も借りたかったが、新書、単行本でも見つからなかった。このあと「メガネのナガタ」に寄ったが水曜定休だった。